85年阪神優勝の隠れた立役者 野村収の「遠藤一彦をぶっつぶせー!」の声掛けでチームは一丸となった (3ページ目)
83年に大洋から勝利を挙げ、プロ野球史上初めて12球団から勝利を挙げた野村収(写真中央)この記事に関連する写真を見る── その試合後、チームメイトから胴上げされていました。
野村 ある試合前の円陣で、私が"声がけ"した時に勝ったものだから、ゲン担ぎが続いていました。たしか横浜戦で、相手の先発が2年連続最多勝の遠藤一彦。それで私は「ぶっつぶせー!」って叫んだら、ナインがドッと沸いてね。遠藤を序盤でKOしたものだから、以来、声がけの役を任されるようになりました。39歳のベテランがそんなことであってもチームに貢献したので、優勝決勝後に胴上げしてくれたのでしょう。
── 当時チームリーダーだった掛布雅之さんが、野村さんの存在、アドバイスに感謝されていました。「自分の4番打者としての野球人生にとって重たい言葉だった」と。
野村 現役時代、岡田(彰布)に聞いたことがあります。「オカ、打率3割と30本塁打だったらどっちをとる?」と。岡田は「そりゃ3割です」と即答しましたが、打者にとって打率3割は大きな勲章なんだと思ったものです。優勝が決まって、カケは打率3割スレスレで、試合に出場するか迷っていました。欠場すれば3割は確定。それで「カケは通算3000安打を打てる選手だ。1本足りなくて引退になったら悔いが残るぞ。それに、もうおまえは3割を打つとか打たないとか、そういうレベルの選手じゃないだろう。ファンためにグラウンドに出て、野球をやらなければいけない選手なんだよ。だから絶対に休んだらダメだ。最後まで出たらどうだい」と言いました。掛布は最終戦に出場して、5年連続全試合出場、打率.300、40本塁打、108打点で優勝に花を添えました。
── 最後に野村さんの現役生活18年で最大の思い出は何ですか。
野村 やはり85年の阪神の優勝ですね。あの年のベンチの盛り上がりはすごかった。まさしく「猛虎打線」の爆発で、毎日がお祭り騒ぎでした。もう38年前のことですが、今でも鮮明に覚えています。
おわり
野村収(のむら・おさむ)/1946年8月9日、神奈川県生まれ。平塚農高から駒澤大を経て、68年ドラフト1位で大洋(現・DeNA)に入団。72年にロッテ、74年に日本ハム、78年に再び大洋、83年に阪神と、のべ5球団を渡り歩き、83年5月にプロ野球史上初となる全12球団から勝ち星を挙げた。86年限りで現役を引退。引退後は阪神、大洋などでコーチ、スカウトを歴任。2000年にはシドニー五輪日本代表のコーチを務めた。通算成績は579試合に登板し、121勝132敗8セーブ
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