85年阪神優勝の隠れた立役者 野村収の「遠藤一彦をぶっつぶせー!」の声掛けでチームは一丸となった (2ページ目)
── そういう展開で投げるのは、心身とも疲れるのではないですか。
野村 0対0とか、1対0の僅差の試合は、投手にとっては投げやすいものです。なぜなら、打者は打とうとして力みが生じ、タイミングが微妙にずれるんです。さらに両軍打っていないと、同じ間隔、同じリズムでマウンドに上がれるので、テンポよく投げることができる。逆に乱打戦の場合は、リズムが崩れる。「もうそんなに点はいらないよ。早くマウンドに行きたい」と内心思う時がありました。
【プロ野球史上初の12球団勝利】
── その後、83年に加藤博一さんとのトレードで阪神に移籍されます。その年、大洋戦に勝利してプロ野球史上初の「12球団勝利」を達成されました。セ・パ交流戦が始まる以前は、セ・パそれぞれ2球団ずつ在籍しないと記録できない貴重な記録でした。
野村 いい投手ならトレードされません。たまたま私がセ・パ2球団ずつ在籍したから達成できた記録です。私自身は、そんなたいそうな記録だとは思っていません。
── 野村さんは在籍した4球団すべてで2ケタ勝利を挙げられています。
野村 移籍しても私のやることは変わらないですから。その積み重ねですね。今年誰かが「12球団勝利」(6月14日に阪神・西勇輝が記録)したようですが、そんな時に私の名前が出る。みんなの記憶に残るのものいいものだと、今になって思います。
── 通算500試合登板もされています。
野村 83年に達成したのですが、通算500試合登板は自分のなかで価値がある記録だと思っていましたので、クリアしたいなと思っていました。
── 阪神時代の一番の思い出は何でしょうか?
野村 それは言うまでもなく、85年の優勝ですね。18年間の現役生活において、たった一度の優勝ですから。自分に優勝を経験させてくれたチームだということで感謝しています。ヤクルト戦(神宮球場)で3対5と負けていた8回裏に投げさせてもらい、9回表に阪神が追いついた。試合は引き分けに終わったのですが、優勝が決まりました。
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