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由規が語る、最初で最後となった台湾の一軍マウンドとこれから「野球を辞める理由がないんです。まだうまくなっていますから」 (2ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text & photo by Asa Satoshi

 プロ入り後も順調だった。高卒ルーキーながら一軍でキャンプを迎え、シーズンでは2勝を挙げた。2年目には早くも先発ローテーションに入り、3年目には規定投球回数をクリアし、2ケタ勝利を挙げた。近い将来、ヤクルトのエースはおろか、球界のエースになるだろうと誰もが疑わなかった。

 しかしこれがピークだった。翌2011年には故郷・宮城が東日本大震災に見舞われた。オールスターのファン投票では、先発投手部門1位で出場を決めるものの、シーズン終盤に肩を痛めて戦線離脱。以降、スタンドを沸かせた剛速球が蘇ることはなかった。

 勝ち星も年々減っていき、2019年には楽天に育成選手として移籍することになった。しかし、ここでもこの年のシーズン最終戦に一軍登板を果たしただけで、翌年は一軍登板なく戦力外となった。その後、BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。

 ひとつ由規に聞きたいことがあった。「どうして3年も独立リーグでプレーし続けられたのか」ということだ。プロの第一線を知っているだけに、自らの限界も感じていたのではないか。NPBから離れる年月が長くなればなるほど、そこへ戻ることは不可能に近くなる。

 その問いに由規は「独立リーグもよかったですよ」と言って、こう続けた。

「独立リーグで1シーズンやったあとに、もうNPBに復帰するのは難しいなっていうのはわかりました。年齢のこともありますし。だから去年はコーチ兼任になって、これからのことを考えるようになりました。自分で手本を示しながら教えるっていうのは、NPBではできないことですし、それはそれでいい経験になりました。マウンドに立てば、どうやったら抑えることができるのかしか考えていませんが。ただ、打たれるとベンチに戻りにくいんですよね(笑)。

 そもそも野球を辞める理由がないんです。年々、うまくなっていっていますから。それが現役であることの価値かなって。そりゃ、若い時みたいに簡単に速い球は投げられないですよ。でも、あの頃はどうしてそういう球が投げられていたのかわからなかったのですが、今はどうやったらいい球が投げられるのかわかるようになってきたんです。そういう意味で、今はその答え合わせをしているって言っていいかな」

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