ヤクルト山野太一が部屋に自分のユニフォームを2枚も飾る意味 石川雅規との練習で得たものは (4ページ目)
梅野は「試合はテレビで見ていました」と言った。
「アイツが悩んで苦労していたのを知っていたので、うれしかったですね。ヒーローインタビューでは『なに泣いとんや』と思ったんですけど(笑)。(山野の勝利は)刺激というか、『オレももっと頑張ろう』となります。今はファームですが、いつ上から呼ばれてもいいように、いつも全力でチームの力になれるようにコツコツ準備しています」
小野寺コーチは「乗り越えられたことが一番よかったと思います」と言って、こう続けた。
「僕も現役時代は肩のケガで苦しんだので、投げられない苦しさはわかります。今は投げられる喜びというか、乗り越えた強さというか、苦しんだ時間は山野を精神的な部分でちょっと成長させてくれたと思います」
石川雅規(写真左)とキャッチボールをする山野太一(photo by Shimamura Seiya)この記事に関連する写真を見る
【投手としてすごい武器を持っている】
8月6日、戸田球場では山野と石川雅規が、この日2度目のキャッチボールをしていた。
「最初のキャッチボールのあと、石川さんと一緒にブルペンに入ったのですが、その時に僕のピッチングの印象を話してくださり、『じゃあ、これからキャッチボールをしよう』と。そのなかでいろいろアドバイスをいただき、修正しながらやりました。石川さんはキャッチボールの時からずっと同じフォームで投げ続けられるので、それがプロで長くやれている理由でしょうし、僕もそこを目指してやっていきたいので、いろいろ吸収できればと思っています」
すっかり背中に馴染んだ『26』について聞くと、こんな答えが返ってきた
「こんなにいい番号をまたいただけるとは思ってなかったですし、球団からの期待はすごく伝わってきました。これからはこの番号にふさわしい結果というか、自分を代表する番号にしていければと思っています」
小野寺コーチは山野への期待を、次のように語った。
「山野は腕が長いので、ピッチャーとしてすごい武器を持っているんですよ。その分、操るのは大変なんですけど、それができればボールを長く持てるので、リリースポイントが打者寄りになります。変化球も多彩ですし、いろんな意味で器用なんですよ」
8月13日、山野はプロ2勝目をかけて、京セラドームで首位を走る阪神に立ち向かう。
著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。
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