持っている男・斎藤佑樹が大学最後に放った名言「僕が持っているのは仲間です」はいかにして生まれたのか (4ページ目)
【文武両道の4年間だった】
その後の明治神宮大会では、大学の部の決勝で東海大と戦いました。福井(優也)が先発して、大石がつないで、2−1と1点リードした最終回、僕が投げることになります。
4年生になってからリリーフで投げるのは初めてでした。あれは『最後は斎藤に』という應武(篤良)監督の粋な計らいだったと思っています。福井と大石、東海大の菅野(智之)君が投げた後のマウンドはデコボコで、かなり丁寧に均したんですけど、それでも練習のときにスパイクが引っかかってつんのめってしまいました。バランスを崩して一塁側に倒れこんでしまって、神宮のお客さんが和らいだのを覚えています。
大学生活の集大成ともいえる9回表のピッチング(12球)は本当に気持ちよかった......神宮大会で早稲田が優勝したことがないということは聞かされていましたし、主将として早稲田を初優勝に導くことができたのはすごくうれしかったですね。
大学での4年間は野球だけの生活ではなかった。授業も大切だし、野球部では雑用もする。もし高校からプロへ行っていたら気づけなかったことがたくさんあったような気がします。それを大学で気づかせてもらった。野球もして勉強もして......野球がうまくて勉強もできることが文武両道じゃないんです。野球をやって、勉強にもちゃんと取り組む。できるできないじゃなくて、両方に真剣に取り組むことが文武両道。そういう意味で、僕は文武両道の大学4年間を過ごせたと思っています。
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早実で夏の甲子園の頂点に立ち、早稲田大では50年ぶりの早慶による優勝決定戦を制して、いずれも有終の美を飾った。そして、"持ってる男"斎藤佑樹が、ついにプロの世界へ飛び込む。北海道日本ハムファイターズ、背番号は18──斎藤のプロ1年目、激動の2011年が始まろうとしていた。
(次回へ続く)
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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