元楽天ドラ1長谷部康平の今 パン屋や野球塾にも挑戦「プロ野球と同じくらい刺激的な仕事に出会えるんじゃないか」
長谷部康平インタビュー(後編)
インタビュー前編:楽天ドラ1左腕を襲ったいきなりの悲劇はこちら>>
不景気の波はもはや業界を問わない。ブームが巻き起こったとしても、勢いはジェットコースターのように急降下してしまう。
最近では高級食パン専門店の閉店ラッシュが話題となっている。宮城県に店舗を構える『ラ・パン』仙台本店も一時期に比べると売り上げは落ちているというが、実質的な責任者の長谷部康平はうしろ向きには考えていない。
「企業とかの催事だったり、ゴルフコンペなんかの記念品でもらえるとみなさん喜んでくれるんですよね。だから『なんで売れないんだ』って嘆いているんじゃなくて、店舗の売り上げもそうですし、喜んでくださるみなさんに商品をどうお届けできるかを考えたいな、と」
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【引退後の最初の仕事は球団職員】
ラ・パン仙台本店を統括する長谷部の朝は、早ければ4時から始まる。パンを製造する工場の稼働状況を確認しつつ、焼き上がった製品の袋詰めや仕上げを手伝うこともある。そこから仙台駅前の店舗へと移動し、スケジュール管理や配達の準備、店長や営業担当との打ち合わせなどを行なう。アルバイトを含め、総勢40名ほどのスタッフをまとめる立場ながらも、人手が足りなければ手伝いにも回る統括者は「僕は基本、配達係です」と笑う。
文面だけを捉えるならば、長谷部はれっきとした「パン屋さん」だ。
ファンならば周知のとおりだが、彼はプロ野球選手だった。ドラフト1巡目で楽天に入団し、ピッチャーとして9年間プレーした元アスリートが、パン屋となったのはなぜか?
長谷部がいきさつを説明する。
「小学2年生で野球を始めてから31歳で現役を引退するまで、それしかやってこなかったわけですよね。だから、最初からパン屋ってわけじゃなくて『いろんな業種に挑戦したい」って思っていたのが始まりですかね」
2016年に楽天を戦力外となり、プロ野球選手を引退してすぐにラ・パンで勤めたわけではない。セカンドキャリアのスタートは、楽天の球団職員だった。
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プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。