斎藤佑樹が振り返る運命の日「日本ハムはまったくのノーマークだった」「正直、巨人への想いはありました......」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 日本ハムというのは、まったくのノーマークだったんです。事前には、指名してくれる可能性すらまったく聞こえてきませんでしたし、まさか名前が挙がるとは思ってもいませんでした。

 ただ一度だけ、「ああ、そういえば」という出来事がありました。4年の秋の、あれはシーズン前か、シーズン中だったか定かでないんですが、日本ハムの山田(正雄)GM(当時、現在はスカウト顧問)が早稲田のグラウンドに来ていたことがあったんです。

 本当に失礼な話なんですが、僕、その頃、山田さんの顔と名前が一致していませんでした。新聞の記事で『山田GM』という方が日本ハムの編成を担当していることは知っていましたが、山田さんがグラウンドに足を運んで下さった時、誰だかわかりませんでした。

 早稲田のブルペンはレフトの北側にあるんです。ネット裏のほうから行くと、グラウンドのなかを通らないとたどり着けない場所なんですね。だから基本的には関係者しか入れない。ただ、ひとつだけ別ルートがあって、ライトのフェンスのうしろ側をずーっと歩いていくと、アメリカンフットボール部のグラウンドがあって、乗馬部もあったりして、そういう中を抜けてくればブルペンまで来ることはできる。でも、ふらっと来られるようなところじゃないのは間違いありません。

 ところがドラフト前のある日、そっちの別ルートを通ってブルペンに入ってきたおじさんがいたんですよ(笑)。ふだんは選手しか通らないルートですし、そもそも選手しかいないはずのブルペンに、スーツをバリッと着こなしたおじさんが入ってきた。

 福井(優也)、大石(達也)と「近所のおじさんが入ってきちゃったのかな」なんて、ひそひそ話をしていたんですが、そのおじさんこそが山田GMだったんです。その時、一学年下の後輩が「すみません、関係者以外は入れないんですけど......」と言いにいったはずです。そこで山田さんが「日本ハムのスカウトです」と名乗って、ああ、そうだったのか、あの人が超有名な山田さんか、となった。ただ、その時はたぶん大石を見に来たんだろうなと思っていましたし、まさか僕を見に来てくれていたとは想像もしませんでした。

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