斎藤佑樹が振り返る運命の日「日本ハムはまったくのノーマークだった」「正直、巨人への想いはありました......」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 通算30勝も記憶にありません。ああ、東大戦......あれっ、東大には負けたんじゃなかったかな。内容はともかく、負けたことは覚えています(10月2日、その時点でリーグ戦35連敗中だった東大との1回戦に先発、7回を投げて被安打5、3失点。2−2の6回、ワンアウト一、二塁から6番の舘洋平に勝ち越しタイムリーとなるライト前ヒットを打たれて、過去7戦7勝だった東大に初黒星を喫した)。

 30勝目が東大戦ということは、僕が負けたから3回戦があって、そこで先発して勝ったんですね。2試合とも自分のピッチングはほとんど覚えていないんですが(負けた東大戦から中1日、9回を投げきって被安打4の完封)、通算30勝と300奪三振の両方をクリアできたこと(史上6人目、過去に達成したのは法大の江川卓、早大の織田淳哉、明大の秋山登、早大の三澤興一、慶大の加藤幹典の5人)は、大学での4年間、大きなケガもせず、メンバーから外れることもなく、しっかりとリーグ戦を戦えた証でしたから、そこは誇っていいところだと思っています。

【希望は在京球団】

 4年秋のリーグ戦は早稲田と慶應に優勝の可能性を残したまま、最後の早慶戦を迎える展開になっていました。でも、その前にドラフト会議がありました。高校の時にはプロを選ばなかった僕ですが、大学での4年間を経てプロへ行くことは目標でしたから、ドラフトは大事な一日でした。

 いくつかの球団が應武(篤良)監督と両親と面談しましたが、僕はドラフト前には関係者には会っていません。ヤクルトとロッテが早々に1位指名を公言してくれていて、それはもちろん僕も知っていました。この2つの球団はずっと僕を見てくれていましたから、すごくありがたかった。僕は関東の球団に行きたいと思っていましたし、とくにヤクルトは神宮球場を本拠地としていたので、どちらに指名されても喜んで行くつもりでいました。

 ドラフト間際になると、ソフトバンクも1位でくるという話が聞こえてきました。早実の大先輩、王貞治さんが球団の会長をなさっていて、それも光栄なことでした。ソフトバンクは関東の球団ではなかったけど、僕にとってこの3球団はどこも同じくらい、行きたい球団でしたから、ドラフト当日はどこに行くことになるんだろうと、不安よりもワクワクしていましたね。

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