長嶋茂雄監督から「準備しなくていい」の直後に「代打・篠塚」 ミスターの直感は多くの人を困惑させ、惹きつけた (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【プロ入り前に見た篠塚のプレーは「1打席だけ」だった】

――篠塚さんの野球人生と長嶋監督は、切っても切り離せないほどの深い関係がありますね。

篠塚 たぶんミスターがいなかったら、これだけ長く野球をやっていなかったと思います。ドラフト会議で周囲が反対するなか、ミスターが自分を指名してくれて、「恥をかかせちゃいけない。恩返しがしたい」という強い思いが原動力になりましたから。

――アスリートは自分のキャリアのことを考えるのが常だと思いますが、他人への思いが原動力になるというのも珍しいように感じます。

篠塚 チームが強くなっていくための要素って、いろいろあると思うんです。そのなかで、選手みんなが「この監督のために」と思ったら、やっぱりチームは強くなりますよ。

 僕の場合は、高校時代に病気(肋膜炎)を患って体に不安を抱えていたのに指名してくれたわけで、僕が大成しないで終わるようなことであれば、ミスターに恥をかかせることになってしまう。苦しい時も、その思いがあったから乗り越えられたと思います。

――長嶋監督が篠塚さんの指名を決めたのは、当時高校2年生だった篠塚さんが銚子商で夏の甲子園(1974年/銚子商が優勝)に出場された時のプレーを見たことがきっかけですよね?

篠塚 そうなのですが、「1打席しか見ていない」と言っていましたよ(笑)。中京商との試合で、レフト前にヒットを打ったそうです。

――そこでも、長嶋監督の"直感"が働いたんですね。

篠塚 瞬間的に「これはいい」と思ったんでしょうね。僕も高校野球を見たりしていて、「この選手はなかなかいいな」と思う時がありますが、同じような感じなのかなと思います。

 ただ、僕の体のことはやっぱり心配されていたようで、ミスターは僕が入院していた病院の院長のところに電話をして、「体はどうなのか?」と確認を取ったみたいで。院長は「もう全然大丈夫ですよ」と伝えたそうです。

 その時にミスターは、院長に「他の球団から連絡がきたら、『篠塚はまだ体がダメだ』って伝えてください」とお願いしたらしいんですよ(笑)。そういう"根回し"もしていたんですね。そんな方だからこそ、「ミスターのために」という思いも強くなったんだと思います。

(連載11:梨田昌孝が語る西本幸雄の「闘将伝説」 背が高い選手には「ジャンプしながらビンタしていた」>>)

【プロフィール】

篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番打者などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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