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栗山英樹が振り返るたった一度の根本陸夫との面会 「キミをオレの下につけて、オレみたいなことをやってもらおうかなと」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 プロ野球の知られざる裏側を丹念に掘り起こした高橋安幸氏のノンフィクション『暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代』(集英社)が、このたび第35回(2024年度)「ミズノスポーツライター賞」の優秀賞に選出された。球団の思惑、裏取引、報道されなかった事件の数々──。今回、本書のなかから、元日本ハムの監督であり、2023年の第5回WBCで侍ジャパンを世界一に導いた栗山英樹氏と根本陸夫氏の知られざるエピソードを一部抜粋して紹介したい。

2012年から10年間日本ハムの監督を務め、現在はチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)としてチームを支えている栗山英樹氏 photo by Sankei Visual2012年から10年間日本ハムの監督を務め、現在はチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)としてチームを支えている栗山英樹氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【根本陸夫からの「西武に来い」】

「根本陸夫になりませんか?」

 2011年オフ、栗山英樹は球団からそう打診され、のちに日本ハム監督に就任した。聞いた瞬間は混乱したそうだが、「根本さんのように現場を見てからフロントに入る形はどうですか?」という球団の説明自体は理解できた。いかにも、根本は西武時代、ダイエー(現・ソフトバンク)時代、それぞれ3年、2年と監督を務めたあと、フロント入りしている。

 1970年代末から90年代にかけて日本球界で暗躍し、実質GM(ゼネラルマネージャー)として辣腕を発揮した。大型トレードで世間をあっと言わせ、有望な新人獲得をめぐる権謀術数が「マジック」とも称された。低迷していたライオンズ、ホークスに変革を起こし、それぞれの黄金時代につなげた功績で知られる。

 栗山にとって、その根本は憧れの人だった。日本ハム球団がそのことを知って名前を出してきたのかどうか、そこまではわからないという。ただ、たった一度の面会が第二の人生の基盤をつくったのはたしかだった。

 91年の春先のことである。埼玉・所沢の西武球団事務所の一室。取締役編成部長の根本に向き合った途端、栗山は直立不動になった。

 前年限りで現役を引退、ヤクルトを退団した栗山はマスコミの仕事に就いたばかり。その関係で西武球場を訪ねた際、根本との対面が実現した。当時の状況を栗山に聞く。

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著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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