栗山英樹が振り返るたった一度の根本陸夫との面会 「キミをオレの下につけて、オレみたいなことをやってもらおうかなと」 (3ページ目)
「球界の寝技師」の異名をとった根本陸夫氏 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る 当時の根本の肩書きは編成部長でも、実質的にはGMだった。その「下につけて」ということはGM補佐のようなポストだったのか。このことは根本自身、公言はしていないが、ダイエー監督時代、担当記者にこう明かしていた。
「ヤクルトを辞めた栗山くんがいるだろう。彼をなあ、西武のとき、球団に誘ったんだ。彼はしっかり勉強もしとるしなあ。でも残念だったなあ」(日刊スポーツ/プロ野球番記者コラム/2018年)
記者によれば、根本はめったに人を誘った話はしなかったそうだが、なぜかこのときは違った。その話しぶりから、栗山に編成部門を統括する職務を任せ、自らの後継者として育てたかったとの思いが伝わってきたという。では、当時の栗山自身にはどう伝わっていたのか。
「オレみたいなことをやるっていうのは、根本さんがそれまでやってきたような裏仕事を含めて、人を動かす、ということだったんだろうなと思います。今にして考えてみれば、そんなにありがたいことはなかったんですけど、根本さんから『キミがそういうふうに決めたんだったら』と言われて、マスコミの仕事をするに当たっての心得をお話しいただきました」
今も栗山の頭のなかには、その助言がはっきりと残っている。根本は言った。
「偉そうに『オレはプロで野球やっていたんだ』というプライドはいっさい捨てなさい。ベテランの記者もプロなんだ。だからメディアの人たちの言うことはちゃんと聞きなさい」
【プロ野球の歴史を勉強しろ】
マスコミの世界でも、ゼロからスタートしてプロになれ──。そう説いた根本が、もうひとつ強調したのは「歴史」だった。
「これから野球界が進む道というのは、過去の流れがわからないと、どの方向に進めばいいのかわからない。だから歴史をちゃんと勉強して、迷ったら歴史に学びなさい。たとえば、もともとプロ野球というのは、巨人があって、巨人のためにできたものなんだ。そういう流れがわかっていれば、野球がこれから何をしなければいけないかということが見えてくる。
いかにプロ野球が進んできたのか、巷で言われていることではなく、本当はどういう経緯でそうなっていったのか。必ずこれからの球界の方向性に関係があるはず。しっかり勉強しなければいけないぞ」
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