今年35歳の秋山翔吾が抱いた危機感 「僕は外野では三番手」から挑む移籍2年目にかける思い

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Koike Yoshihiro

 4年ぶりに日本でシーズン開幕を迎えた秋山翔吾(広島)が、好スタートを切った。オープン戦では出場15試合中12試合で1番に起用されたが、シーズンではここまで全試合3番でスタメン出場。4月10日現在、リーグ3位の打率.429をマークしている。

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【外野手のなかでは三番手】

 監督が代われば、新陳代謝が起こる。監督によっては、あえて世代交代を積極的に行なうこともある。だが、新井貴浩監督が新たに就任した広島の春季キャンプでは、レギュラーを脅かす若手の台頭は見られなかった。

 目立ったのは2年目の田村俊介や韮澤雄也といった、レギュラー争いでは序列が低いと思われていた選手たち。期待された選手たちのアピール不足もあるが、レギュラークラスが高い壁となったことで新風を遮ったとも言える。そのなかでも存在感を示したのが、一軍キャンプ参加メンバー最年長の秋山だった。

「(西川)龍馬と野間(峻祥)がいるので、いま僕は三番手。3つしかない外野のなかで、誰が最初に食われるのか......と。(移籍先に)カープを選んで、自分の首を絞めているとも言えるかもしれないけど、ここで折れるようならどこのチームにいても終わってしまう」

 キャンプ前、秋山はそう口にしていた。新監督にアピールしようとする若手よりも、秋山は危機感を抱いていた。

 昨年、シーズン途中にアメリカから日本に帰ってきた。新天地は古巣の西武でも、パ・リーグでもなく、セ・リーグの広島だった。環境の変化、野球の違い、コンディションの維持......これまで首位打者1回、シーズン最多安打4回の打撃技術を持つ秋山でも、すぐに適応するのは難しかった。

 十分な調整期間もないままチームに合流し、ただただ目の前の試合をこなす日々を過ごすしかなかった。コンディションの悪化も重なり、日本復帰1年目は打率.265、5本塁打、26打点に終わった。

 数字だけを見れば、ともに外野のレギュラーとして戦った西川や野間に劣る。移籍経緯は言い訳にならない。

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著者プロフィール

  • 前原 淳

    前原 淳 (まえはら・じゅん)

    1980年7月20日、福岡県生まれ。東福岡高から九州産業大卒業後、都内の編集プロダクションへて、07年広島県のスポーツ雑誌社に入社。広島東洋カープを中心に取材活動を行い、14年からフリーとなる。15年シーズンから日刊スポーツ・広島担当として広島東洋カープを取材。球団25年ぶり優勝から3連覇、黒田博樹の日米通算200勝や新井貴浩の2000安打を現場で取材した。雑誌社を含め、広島取材歴17年目も、常に新たな視点を心がけて足を使って情報を集める。トップアスリートが魅せる技や一瞬のひらめき、心の機微に迫り、グラウンドのリアルを追い求める

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