今年35歳の秋山翔吾が抱いた危機感 「僕は外野では三番手」から挑む移籍2年目にかける思い (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Koike Yoshihiro

「しっかり対応して、結果を出す姿をもっと見せたかったなという思いはある。新しく迎え入れてもらったなかで、もうちょっとしっかりやりたかったなと」

 契約更改を終えた会見では悔しさを隠そうとしなかった。生まれ変わろうとするチームのなかで、ポジションを奪いにいかなければ立場を失ってしまう。野球界の厳しさは西武、そしてアメリカで痛いほど感じてきた。

【先を見据えた体づくり】

 激動の1年を走り抜き、迎えたオフは地に足をつけたシーズンに向けて計画的に取り組んだ。ポジションを死守するためではなく、新しい秋山翔吾をつくるために──。

「『タフにシーズンを乗りきれたな』と言える年にしたい。簡単ではないと思いますけど、ここでできなかったらたぶん来年も再来年もできないと思う。試合に出てボロボロになって、ただ目減りして終わっていく感じになりそう。だから、グッとアクセルを踏むくらいの気持ちでやっていきたい」

 今年だけでなく、2年後、3年後、その先をも見据えていた。選手として再び上昇カーブを描く、浮上の一歩とする。そう心に決めた。

 例年以上に追い込んだ一方で、1月になるとこれまで徹底してきた体の管理を意識的に緩めた。自主トレ期間中、あえて練習後にトレーナーからケアを受けなかったこともある。ケガにつながらない程度の張りを感じながら動くことで、年齢を重ねた自分自身の体の現状を知ることができる。

 また、どこかで"過保護"にしていた体に、本来持つ回復力を求めたのかもしれない。今年4月16日に35歳となる体の許容範囲を測りつつ、可能性を広げようとしていた。

 打撃フォームも微調整した。アメリカでは打者の手元で変化するボールに対応するため、ミートポイントを体に近づけていたが、昨シーズン終了後から投手寄りにした。

 西武時代に近い感覚を取り戻すためには、実戦のなかで研ぎ澄ましていくしかない。春季キャンプ3日目には、投手を相手にしたフリー打撃に志願して参加。そこで感じた違和感を拭うため、練習後はひとり残ってティー打撃を行ない、新井監督からも直接指導を受けた。その後も積極的に実戦での打席に立ち、自分の感覚と客観的な部分をすり合わせながら新フォームをつくり上げていった。

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