ヒルマン政権の日本ハムはなぜ強かったのか。森本稀哲が感じた、選手の集中力を生むメリハリ (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――ヒルマン監督のもとでプレーする中で、新しい発見はありましたか?

森本 シーズン中の休みが多かったことです。僕も若かった頃は"練習漬け"になりがちでしたが、休みが多かったおかげでオン・オフのメリハリがつきましたし、「時間の使い方」の勉強にもなりました。キャンプの練習もダラダラと長くやるのではなく、メニューごとに時間をしっかりと管理する"短時間集中型"に変わりました。

 最初は僕らも「本当にこれくらいでいいのか?」と少し不安になりましたが、練習が短くてあっという間に終わる分、「集中して取り組もう」という意識が高まりました。チームでの練習以外の時間も、自分にとって必要なものを考えるようになりましたね。自主的に取り組む練習ほど身につくものはない、ということにも気づかされました。

――東京から北海道に本拠地移転(2004年)した時の指揮官でもあるヒルマン監督は、地域のイベントに出演するなど、球団が地域に溶け込めるようにファンサービスにも尽力していました。

森本 北海道に移転したばかりの頃は球団の知名度も低く、ファンもまだ多くはなかったですからね。移転当初に開いた、選手たちのサイン会がガラガラだったという話も聞いたことがあります。ヒルマン監督もそういった経験をしたことはなかったでしょうし、相当苦労したと思います。でも、ヒルマン監督をはじめ、球団スタッフや選手たちのひとつひとつの努力が報われて、今につながっている。あらためて振り返ると感慨深いですね。

(連載7:秋山幸二「わかってるな?」の問いに攝津正は「わかっています」。ソフトバンクのエースはどのように育てられたのか>>)

【プロフィール】
■森本稀哲(もりもと・ひちょり)

1981年1月31日生まれ。東京都出身。帝京高校の3年時に主将として夏の甲子園に出場し、1999年のドラフト4位で日本ハムに入団。2006年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、2007年はベストナインに選ばれた。2011年に横浜ベイスターズ(現DeNA)に移籍し、2014年には西武にテスト入団。2015年に現役を引退後は、プロ野球解説やメディア出演など幅広く活躍。2023年シーズンから、日本ハムの一軍外野守備走塁コーチを務めることが発表された。
公式Twitter>>@onifukkusencho 公式Instagram>>

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