湯舟敏郎を「阪神ドライチ」の重圧から解放したのは、大阪桐蔭の高校ナンバーワンスラッガーの入団だった (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「それとあの年、ラッキーゾーンが撤去され甲子園が広くなりましたよね。当然、ピッチャー陣は投げやすくなったうえに、守備力が高くなりました。とくに外野はレフトに八木(裕)さん、ライトに亀山(努)がいて、センターに新庄(剛志)が入ってからがすごかったんです。たとえば、ランナー二塁、センター前ヒットで1点が入らない。新庄の肩でランナーが止まるわけです。

 ピッチャーとしてはもう1回、勝負できる。心強く、投げやすく、攻めやすくなって、かなり助けてもらいました。内野も久慈(照嘉)が入ってきて、もちろんほかの選手も堅い守りをしたんですけども、彼がショートに入ってゲッツーが増えたと思います。ゲッツーが増える、イコール、ピンチを一気に脱するケースが増えますから」

 5月下旬に二軍から昇格し、負傷離脱したトーマス・オマリーに代わって三塁を守り、即結果を出した新庄。オマリーの復帰後、6月下旬には遊撃を守ったあと、7月初めから中堅に入った。後半戦に向けて、鉄壁の外野陣が形成されたのは大きかった。ドラフト2位で入団した新人の久慈は社会人の日本石油(現・ENEOS)出身、即戦力だった。

「ただ単に守りで失点を防いでくれただけじゃないんです。新庄だけでなく八木さん、亀山は足がありましたから、左中間、右中間を抜かれたら『100%、自分が悪い』って思えるわけです。これは僕だけかもしれませんけども、『今の捕れたんじゃないの?』って思うこと、ピッチャーはあるような気がするんですね。

 でも、彼ら3人が守った時、間を抜かれた自分が100パー悪いと思えるので、引きずらないで次の対戦に向かえる。今にして思えばですけども、やはり、打たれたことを遮断したほうが、次にしたいことが明確になります。『あれがアウトやったら......』と引きずると集中できないので。僕にとっては割りきって納得できて、ありがたかったですね」

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