湯舟敏郎を「阪神ドライチ」の重圧から解放したのは、大阪桐蔭の高校ナンバーワンスラッガーの入団だった (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

転機となった木戸克彦のアドバイス

 5月10日の広島戦、3回までに6点の援護をもらいながら、4回途中で3ランとソロを浴びて降板。同20日の巨人戦では3回に味方打線が3点を先制するも、4回途中に5失点で降板。同30日の巨人戦も3回3失点で降板。月が変わり、6月にはノーヒット・ノーランを含む3勝を挙げることになるのだが、ピッチングをどう立て直していったのか。

「一度、広島でリリーフしてるんですよ。6月4日の試合ですか。三番手で3イニング投げて1点はとられたんですけど、わりとよかったんですよ。その前にキャッチャーの木戸(克彦)さんからアドバイスを受けて。その年、開幕から組んでいた山田(勝彦)も大きな存在でしたけど、木戸さんに勉強させていただいたことが僕には大きかったんです。

 木戸さんは1年目にずっと組んでもらったキャッチャーでした。それであの時に言われたのは『完全なボールでも、バッターが振ったらストライクや』ということです。『たとえば、フォークならベースの上でワンバウンドする球でも振ってくれるんや。そんな球でもアウトとれるんやったら、使わな損やないか?』と」

 6月14日、甲子園での広島戦、2週間ぶりの先発機会が湯舟に巡ってきた。その試合から、1年目と同じく木戸と組むことになった。ブルペンで投球練習中、「今日打たれたら完全に登録抹消だな。アカンかったらもうしゃあない」と思い、腹が据わったところに木戸が来た。「まずひとりずつ、ワンアウトずつ、行けるところまでいこう」と言われてマウンドに上がった。

後編につづく>>

(=敬称略)

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