牛島和彦が回想するドカベン香川伸行。「彼に勝ちたいというより、同じだけの評価をしてもらいたかった」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

── しかし香川さんは、その後は伸び悩み、プロ10年目の89年シーズンを最後に、現役を引退しました。プロ入り後、何かやりとりはありましたか?

牛島 高校を卒業してから、彼としゃべったのは1回、いや2回かな? 母校が甲子園に出て、応援に行った時にたまたま会って、「おぉ、久しぶり」という感じでした。でも、僕ら高校1年生の時からバッテリーを組んでいますから、お互いに性格をよくわかっているし、普段からしゃべっていなくても、「コイツはこう考えてるんだろうな」っていうのはお互いにわかるものですよ。

── その香川さんは2014年に52歳の若さで亡くなってしまいました。亡くなる直前のインタビュー記事を読むと、「僕は牛島がおったから野球ができた」とか、「一番の球友は誰でもない牛島なんよ」と語っています。

牛島 僕の頭のなかには中学時代、そして高校1年の時の香川のイメージが今でもあるんです。当時は、僕よりもはるかに香川のほうがスーパースターでした。僕なんか、「牛島はどうなるかわからへん」という評価で、香川との差はすごく大きかった。だから、彼に「勝ちたい」というよりも、「同じだけの評価をしてもらいたい」という思いだけ。それしかなかったですからね。

── 2018年8月8日、第100回全国高等学校野球選手権記念大会のレジェンド始球式に登板した際に、牛島さんも香川さんの思い出を語っていましたね。

牛島 甲子園のマウンドというよりも、グラウンドに出る時の階段がすごく懐かしかったですね。もしも香川が生きていたら、バッテリーを組んで彼もあの場にいたと思います。高校に入学して、1日目か2日目にいきなり春季大会の北陽高校戦に出場して、僕が先発して2失点で完投して、香川がホームランを打って勝ったんです。その頃からの長いつき合いでしたね......。

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 プロフィール
牛島和彦(うしじま かずひこ)/1961年、大阪府大東市生まれ。78年、浪商高校(現・大体大浪商)2年の春に、エースとしてセンバツ出場。79年、3年春のセンバツで準優勝し、3年夏は甲子園ベスト4。同年秋、ドラフト1位で中日に入団。86年オフに落合博満との1対4のトレードでロッテ移籍。おもにリリーフエースとして活躍し、セ・パ両リーグで最多セーブ投手となる。93年に現役を引退。プロ通算53勝64敗126セーブ。2005年に横浜(現DeNA)監督に就任。現在はプロ野球解説者として活躍している

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