牛島和彦が回想するドカベン香川伸行。「彼に勝ちたいというより、同じだけの評価をしてもらいたかった」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

── そこで、香川さんと出会うことになるわけですね。

牛島 でも、中学時代から香川のことは知っていましたよ。彼は有名選手だったから。対戦したこともあるけど、結果は覚えてないですね。僕は市外局番も「06」じゃない、大阪の外れの出身だけど、香川は大体大付属中時代から注目されていたスターでしたね。浪商としては「3年後に強いチームをつくりたい」という計画で、付属中から香川、そして同じく付属出身でショートの山本明良(元南海ホークス)、そして僕の3人をスカウトして甲子園を目指すつもりだったんです。

── 高校入学後、初めて同じチームになった香川さんはどんな選手でしたか?

牛島 ホント、すごいバッティングをしていましたよ。うちの高校はフェンスまで93メートルで膨らみのないグラウンドなんですけど、その先にある4階建ての校舎のさらにその上を超えるような、130メートルぐらいの特大ホームランを連発していましたね。

── 高校1年時からすでに、のちのブレイクの兆しはあったんですね。

牛島 いやいや、彼の場合は1年の時が本当にすごかったんです。当時は体重90キロぐらいで、3年の頃には120キロ以上はあったと思うんですけど、1年の時は身体のキレもあったし、勝負強さもハンパなかった。僕らは「もうちょっと絞ったらどうや?」って何度も言ったけど、その気はなかったみたいですね。本人としては、自分なりの感覚があったんでしょうね。

「ドカベン」香川伸行の思い出

── 1979年ドラフトで、牛島さんは中日から1位指名、香川さんは南海から2位指名を受けて、それぞれプロ入りします。香川さんは1年目に8本塁打を放ちました。

牛島 まぁ、「それぐらいは打つやろな」とは思っていましたよ。中日時代にはもちろん、対戦はなかったけど、のちに僕がロッテに移籍して香川と対戦しました。札幌・円山球場だったけど、満塁のピンチで香川を迎えて、フルカウントになったところで、フォークで空振り三振。僕にセーブがついたことは覚えています。

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