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牛島和彦が回想するドカベン香川伸行。「彼に勝ちたいというより、同じだけの評価をしてもらいたかった」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

── かつての三沢高校・太田幸司さん、東邦高校の「バンビ」こと坂本佳一さん、あるいはのちの早実・荒木大輔さんのような、押しも押されもせぬ「甲子園のアイドル」として注目されていましたが、当時はどんな心境でしたか?

牛島 いやいや、荒木大輔とかと一緒にしちゃダメですよ。「真っ白いスター」と「真っ黒なスター」はきちんと分けないと(笑)。

── 牛島さんは「真っ黒なスター」ですか?(笑)

牛島 僕は黒に近いグレーです。黒ではないけど、白でもない(笑)。

── 牛島さんのWikipediaを見ると、「ドラフト前は才能こそあったもののあまりの素行の悪さから手を引く球団が続出」と書かれていますね(笑)。

牛島 いやいや、他の球団からも誘いはありましたよ。広島は「野手で獲得したい」と話が来ていましたから。パ・リーグからもたくさん話はあったけど、うちの祖父が交通事故と病気で耳が聞こえなくて、「和彦、オレはテレビでしか応援できないからな」と言われていたので、テレビ中継のないパ・リーグはお断りしていただけなんです(笑)。

巨人・高田繁のひと言で浪商に入学

── ドカベン香川さんとは浪商高校入学時の出会いですよね?

牛島 僕は、もともとは奈良出身なんで、天理高校に行くつもりでセレクションも受けていたし、学校からも「ぜひ来てくれ」って言われていたんです。でも、うちのいとこのおじさんが奈良の県立高校の監督をしていて、「大阪に行ってくれ」と言われて、大阪の高校を探すことになったんです。

── 「おまえが来たら、うちらが甲子園に行けないから」という理由ですね。浪商に決めたのはどういう理由ですか?

牛島 浪商がいちばん熱心に誘ってくれたんです。初めは行くつもりはなかったんだけど、当時巨人の現役選手で浪商OBの高田繁さんがやってきて、「牛島くん、浪商に行きなさい」と誘われたんです。高田さんの奥さんが、うちの地元近くの出身で、子どもの頃からずっと高田さんを身近に感じていたんで、浪商に行くことを決めました。

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