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なぜ日体大は次々とプロへ投手を送り込めるのか。元プロの投手コーチが語る「計画登板」の重要性 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 辻自身、高校入学直後に右ヒジの痛みに苦しんだ経験がある。投手陣の輪から外れてランニングを繰り返し、「僕、何やってるんだろ? 陸上部かな」と孤独に苛まれた。

「ケガした時に不安なのは、取り残された気分になるというか......何を指標に頑張ればいいのか、投げられない時間がどこまで続くかも見えない。そんな時、治療院のトレーナーさんや、トレーナーの姉がマッサージをしてくれて支えられました」

 辻は大貫と話し、背中を押してあげる必要性を感じた。初めて見た2月時点では10メートルのキャッチボールしかできておらず、4月中旬に始まる春季リーグに間に合うかどうかはわからない。

 だからこそ、一緒に目標を定めた。

「最終戦でもいいから、リーグ戦に間に合うように頑張ろうと伝えました。そこを目指さないと、残りの学生生活が無駄になると思ったんです。ギリギリですけど、間に合ったというか」

 辻が描いたのは、完全復活までのロードマップだった。球数と登板間隔を調整しながら、先発して9イニングを投げられるように徐々に強度を高めていく。そのなかで重視するのが、「試合で投げる体力をつける」ことだ。

「シートバッティングや紅白戦、実戦のあとにケガをしたり、痛めたりする選手が多くいると見聞きしました。だから試合のなかで、計画性を持って投げていくように心がけています。とくにケガをしている選手には、1カ月分くらい道筋を立てて送っていますね」

 大貫の場合、3月中旬に実戦復帰できた。翌日以降に右ヒジの張りがなければ、1週間後の次回登板からイニング数を1、3、5回と徐々に増やしていく。そうして春のリーグ戦で登板を果たすと、秋には先発2番手としてチームを2位に導いた。2カ月弱のリーグ戦を無事に投げ切り、新日鐵住金鹿島に入社した3年後にプロへ羽ばたいている。

次のステージに向けての計画登板

 同じタイミングで西武に1位指名されたのが、大貫の3学年下の松本だった。日体大では1年秋から先発1番手に定着し、3年夏には大学日本代表にも選ばれている。

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