元ヤクルト通訳が選ぶ「記憶に残る助っ人ベスト5」。問題児、超愛妻家、日本記録保持者の名前がずらり (4ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji
  • photo by Sankei Visual

「同じテーブルにいたはずのデントナが、気がつけばいなくなっている。どこに行ったんだろうと店内を探したら、カウンターの中でシェーカーを振って客にふるまっていたんです。そんな茶目っ気のある選手でした」

 近藤通訳はその日は先に帰宅したのだが、翌日の試合前、デントナが尋ねてきた。

「コウジ、なぜか知らないキーを持っているんだけど......これはキミのか?」

 なんとデントナが持っていたのは店のキーで、閉店時のカギ閉めまでやっていたのだ。結局、その日の試合後もそのバーに行くはめになってしまった。もう10年以上も前のことだからこそ明かせるエピソードである。

ヤンチャ助っ人が大記録達成

ウラディミール・バレンティン(2011〜19年)
1022試合/959安打/打率.273/288本塁打/763打点

 バレンティンは、マリナーズ時代にイチローと1、2を争う強肩と評判の選手だったが、来日してからは守備力が落ち、逆に打撃が開眼した。

「日本の焼肉が大好きで、みるみるうちに体が大きくなって、動きが鈍くなってしまった(笑)。気分屋のところがあり、集中力に欠けることもありました。だけど、バッティングに関しては、本当にすごかった」

 2011、2012年とも31本塁打で本塁打王に。2013年には日本記録となる60本塁打を放った。野村克也は「ワシや王貞治がつくった本塁打記録を簡単に抜かれるとは......」と嘆いていたが、インコース高めの球はヒジをうまくたたんで打ち、60号アーチはランディ・メッセンジャー(阪神)のアウトコース低めをライナーでライトスタンドに叩き込むなど、パワーだけじゃなく技術も一級品だった。

「2013年は毎日ホームランを打っているような感覚でした。これまで日本記録に挑んだ外国人選手は何人もいたと思うのですが、バレンティンが彼らと決定的に違ったのは量産ペース。どのコースもホームランにしていました。

 日本記録のあと、ホームランボールをみんなほしがっていて......。私は58号のボールを記念にもらいました。もし、このまま58号で終わっていたら、このボールは貴重だなとドキドキしていましたね(笑)。前人未到の記録を樹立して、通訳の私にもこれまで見たこともない景色を見せてくれました。そういう意味でもバレンティンは忘れられない外国人選手のひとりですね」

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