元ヤクルト通訳が選ぶ「記憶に残る助っ人ベスト5」。問題児、超愛妻家、日本記録保持者の名前がずらり (3ページ目)
アレックス・ラミレス(写真左)ら多くの外国人選手を支えた元ヤクルト通訳の近藤広二氏この記事に関連する写真を見る また「アイーン」や「ゲッツ!」の一発芸で子どもたちを喜ばせるなど、ファンサービス精神が旺盛だった。さらにヒット1本につき1万円を、施設に寄付していた。
「プロ野球選手は試合のない月曜日が休みになることが多かったのですが、その数少ない休みを利用して施設に足を運び、子どもたちと触れあっていました」
現役引退後は10年間Bクラスに低迷していたDeNAの監督に就任。指揮を執った5年間でAクラス3回と結果を残した。これもラミレスの研究熱心さの賜物だと近藤通訳は言う。
「入団当初は外角のスライダーが打てず、空振りばかりしていました。それが次第にライト前ヒットを放つようになったんです。当時のセ・リーグは予告先発制ではなかったのですが、ラミレスは先発投手を予想して情報を収集し、捕手のリードも映像を見て研究していました。しかも球場別のデータも調べていました。そういう細かなデータ分析を監督になってもやっていたのだと思います」
外国人選手初の通算2000安打達成、そして監督としての成功も納得できる。
突然バーテンダーに⁉︎
ジェイミー・デントナ(2009〜10年)
217試合/180安打/打率.263/36本塁打/133打点
高田繁監督時代の外国人選手で、一部のファンの間で髪型が大泉洋を彷彿とさせると言われていた。来日1年目の2009年は打率.276、21本塁打、83打点とまずまずの成績を残した。
「なかでも印象に残っているのは、クライマックスシリーズのファーストステージの中日戦。この年、防御率1位のチェン・ウェイン(現・阪神)から逆転2ランを放ったんです。あの1本は今でも鮮明に覚えています」
だが2年目は、不振から左打者のジョシュ・ホワイトセルとの併用になり、とくに相手が右投手の時はベンチを温めることが多くなった。
ある名古屋遠征でのナイトゲーム終了後、近藤通訳とデントナは行きつけのバーで一緒に酒を飲んでいた。翌日の試合で相手の先発予想が右投手だったため、出番がないと思っていたデントナの酒の量は増えていた。
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