元ヤクルト通訳が選ぶ「記憶に残る助っ人ベスト5」。問題児、超愛妻家、日本記録保持者の名前がずらり (5ページ目)
バレンティンはヤクルト時代の9年間でじつに8回も30本塁打以上をマークした。その打てなかったシーズンは、奇しくもヤクルトがリーグ優勝を遂げた2015年。「自分は運がなかった」と、あのヤンチャなバレンティンもさすがに落ち込んだそうだ。
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もちろん、このほかにも記憶に残る外国人選手は数多くいる。通訳冥利につきる瞬間はどんな時なのだろうか、最後に聞いてみた。
「グラウンドはもちろん、球場を離れても一緒にいる時間が長いので、やっぱり活躍してくれるとうれしいですね。バレンティンが60号を打った時、ヒーローインタビューで『監督やチームメイト、そして通訳に感謝する』と言ってくれたんです。私がマスコミに向けて訳す時に恥ずかしくて"通訳"のところは省いたんですが、その言葉を聞いてこれまでの苦労が報われた気がしました」
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