西武監督の広岡達朗から「練習に参加しなくていい」。代わりに石毛宏典は木刀と道着を持って新宿に通った (4ページ目)
――石毛さんのYouTubeチャンネルで、1983年の巨人との日本シリーズで苦況に立たされた際、広岡さんが皆の前で歌を歌われていたというような話をお聞きしました。
石毛 うちが2勝3敗で王手をかけられていて、選手たちが落ち込んでいたんです。そんな時に(池袋の)サンシャインシティのホテルの宴会場に選手たちが集められ、そこに広岡さんが来られた。あんまり記憶にないんですけど、鼻歌まじりかなんかで、歌を口ずさんでいましたね。「状況は厳しいけれども、それでもうちは負けないんだよ」みたいなことも言われていて、そのとおりになったということです(第6戦・第7戦を西武が勝利して2年連続日本一となった)。
――広岡さんとの出会いは野球人生のターニングポイントになりましたか?
石毛 間違いなくなりましたね。野球人としては、まさしくターニングポイントです。人生だとか人間的な側面から考えれば、駒澤大学時代の太田誠監督との出会いや、プロ入り1年目の根本(陸夫)さんとの出会いなど、いろいろとありますけどね。
――今でも広岡さんとの交流はありますか?
石毛 広岡さんもだいぶ高齢(89歳)になられましたが、2、3年くらい前まではたまに電話がかかってきて「暇か?」とおっしゃるんです。「何でしょうか?」と返事をすると、「東伏見のグラウンド(早稲田スポーツの本拠地)に来い」と。早稲田大学のOBですからね。それで、さらに「誰かに指導するんですか?」と聞くと「とりあえず来い」となるんです。
現場に着くと若い選手が数人いて、「お前はそこに座って(指導するところを)見ておけ」となるんですが、広岡さんは5~10分でくたびれてしまいます。その後に「お前がやれ」と言われて僕が選手たちに指導をするわけですが、そういう意味では、多少は僕の理論や理屈を認めていただているのかなと思います。そういうふうに見てくれているのは嬉しいですね。
――なるほど。広岡さんとの出会いは野球人生に多大な影響を与えていることがよくわかりました。続いて、広岡さんのあとに西武の監督を務めた森(祇晶)監督とのお話をお聞きできればと思います。
石毛 わかりました。
(後編:西武の黄金時代を作った根本、広岡、森>>)
◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
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