ライバル→チームメイト→スタッフとして。榎下陽大が語る斎藤佑樹「野球の神様が味方についていた」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 細野晋司●写真 photo by Hosono Shinji

 甲子園の後、高校ジャパンに選ばれてアメリカへ行く直前に国内合宿があったんですけど、その時、斎藤と同じ部屋だったんです。智辯和歌山の橋本良平(元阪神)と、僕と斎藤の3人部屋。あの期間に初めてちゃんと話をしました。印象は、やっぱりオシャレなやつだな、みたいな(笑)。朝から晩まで、寝てる時も食べてる時も風呂に入っている時も、斎藤はいつもオシャレでしたね。

 僕らは甲子園に出ただけでも大満足のチームだったのに、そこで気持ちよく投げることができて、しかも準決勝まで勝ち進んで、鹿児島に帰ってもよくやったの大フィーバーですよ。で、高校ジャパンに選んでいただいて、今、日本中を一大フィーバーに巻き込んだハンカチ王子と同じ部屋にいる......本当に夢の中にいる感じでした。空港でもグラウンドでも、斎藤、田中(将大)が歩けばマスコミもファンもぶわーっと動くんです。いや、"榎下陽大"も鹿児島市内ではそれなり(にキャーキャー言われる存在)だったんですけど(笑)、斎藤は全国でキャーキャー言われてましたから、僕まで芸能人になったような気分でした。あのときは18歳でしたけど、もし今、同じ状況に身を置いたら、もっと違うインスピレーションを受けていたかもしれません。

 大学時代も接点はありました。僕が1年の秋、神宮大会に出て早稲田と対戦したんです。僕はリリーフでしたが斎藤は先発して......その試合の前だったか後だったか、一緒に食事に行ったのを覚えてます。相変わらずオシャレで、斎藤が選んだのはピザだった(笑)。

 早稲田からジャパンに入っていた斎藤、後藤(貴司)、船橋(悠)、大石(達也)も来て、僕は九産大の何人かを連れていって......その時、僕は東京に出たこともなかったし、電車の乗り方もわからなくて、「ここね」と斎藤に言われたレストランへ行きました。

 斎藤は高校を卒業してからもずっと騒がれていて、僕は地方の大学に進んで、でもあんなに騒がれていた斎藤が「陽大、久しぶり」みたいな感じで変わらず接してくれたのはすごくうれしかった。

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