片岡篤史は松坂大輔に「謝罪されました」。3年前に初めて話したあの空振りシーン

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

"平成の怪物"と呼ばれた西武の松坂大輔が、今季限りでの引退を決断した。

 1998年に横浜高校で甲子園春夏連覇を果たし、鳴り物入りで西武に入団。1年目から16勝を挙げ、その年から3年連続で最多勝に輝くなど多くのタイトルを獲得。2007年からはボストン・レッドソックスでプレーし、同年のワールドシリーズでは日本人投手として初の勝利投手になった。

 日本代表としても、シドニー五輪やアテネ五輪でエースとして活躍。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では2大会連続MVPに選ばれ、日本の連覇に貢献した。

1999年4月7日、西武のルーキー松坂との初対決で空振り三振を喫した日本ハムの片岡1999年4月7日、西武のルーキー松坂との初対決で空振り三振を喫した日本ハムの片岡この記事に関連する写真を見る そんな松坂を語る上で欠かすことのできない名シーンのひとつが、1999年4月7日のプロデビュー戦。当時の日本ハムの主力であり、パ・リーグを代表する強打者でもあった片岡篤史との対戦だ。

 片岡は、当時を次のように振り返る。

「甲子園を春夏連覇した松坂のデビュー戦ということで、お客さん、報道陣の数も多かったですね。球場(東京ドーム)全体が異様な空気に包まれていました」

 対戦前は「どんな投手なのか」という興味はあったものの、それでも相手は高校を卒業したばかりの投手。片岡自身も含め、日本ハムのベンチには「負けるわけがないという雰囲気だった」という。

 しかし、初回の松坂の投球を見て、その意識が変わった。

「立ち上がりの投球を見て、『これは、ただの高卒ルーキーの投手ではない』と感じました。スライダーは、近鉄で長くクローザーを務めていた赤堀(元之)と同じくらいすごかったですし、西口(文也)や石井(貴)ら当時の西武にいたエース級の投手たちと遜色がないほどの完成度でした。あと、デビュー当時はまだ線が細かったですけど、体の強さも感じましたね」

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