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荒木大輔が振り返るトミー・ジョン手術。
日本で3人目に迷いはなかった (5ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──誰か制止する人がいないとダメですね。

「そうなんです。『痛くなったら、そこでやめろ』と注意されていましたが、痛みが出ないので回数を増やして続けていると、腫れが出てきてしまって......そのときにはもう手遅れです。ジョーブさんは顔を真っ赤にして怒りましたね。それで、『とんでもないことをしてしまったんだ』と気づきました。3回目の手術をしたあとは、専属のトレーナーをつけてもらいました」

──荒木さんの手術とリハビリを一緒に体験したことで、球団もいろいろと学んだわけですね。

「最初はみんな手探りでしたが、いまでは多くの投手が復帰を果たしていますよね」

──3回の手術を受けた荒木さんは、一軍で投げられるようになるまで4年もかかりました。

「途中で椎間板ヘルニアの手術をしたこともあって、思った以上に時間がかかりました。リハビリをしているとき、『荒木、引退か』という記事が出たこともありました。でも、二軍で元気にプレーしている選手より、どう見ても私のほうが野球はうまい。それなのに、そんなふうに書かれて『なんでオレがやめなきゃいけないんだ』と思いましたよ。  

 リハビリを続けるうちに、そんな気持ちの強さが出てきましたね。高校時代になかったものが芽生えてきました。単調なリハビリが続くことへのストレスもあったでしょう。マスコミへの反発心もありました」

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