元独立リーガーがドラフト1位ルーキー・小笠原慎之介に託した夢 (2ページ目)
現役続行を模索する中、練習場所を提供してくれたのが、大学時代の先輩が指導していた少年野球チームだった。そのチームのなかに、当時中学2年の小笠原がいた。
「そのときは、そんなに目立つ存在ではありませんでした。でも、先輩が『この子はよくなるから』ってずっと言っていました。僕自身は、夏が過ぎても所属先が見つからなくて、そのうちに野球を教えるのが面白くなってきたんです。先輩も『ウチに来て練習しながらでもいいから、毎日来て、子どもたちに野球を教えてやってくれ』と言ってくれて......。それで小笠原ともいろいろと話すようになりました」
結局、所属先が見つからず、長坂氏は現役引退を決意。セカンドキャリアとして選んだのが、自身による野球塾だった。それまで通っていた少年野球チームを離れて個別指導となれば、軋轢は避けられない。
「名球会どころか、NPBに入ったこともない人間が、自分のチームの子どもを指導するんですから、迷惑に思う人がいて当然です。でも、先輩に相談したら『いいよ、やってみたら』って。それで、平日は自分が開いたスタジオで野球塾、土日はクラブチームで指導するというスタイルができたんです。先輩のチームは地元で最も影響力があり、僕の独立を受け入れてくれたことでスムーズにスタートできました」
小笠原少年も、「長坂塾」の門下生になった。「140キロは誰でも出せる」というのが長坂さんの持論だ。小笠原少年は、無名の元「プロ野球選手」の教えを忠実に守った。
「リリースの瞬間に力を爆発させる。そのためには体を開かない」
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