新庄剛志、井川慶、藤浪晋太郎...阪神選手5人が「メジャーで残した足跡」 青柳晃洋は果たして? (3ページ目)
【メジャーで成功した阪神選手は?】
4人目の藤川は、ケガに泣かされた。2012年のオフにシカゴ・カブスと2年950万ドルの契約を交わし、開幕戦でメジャー初セーブを挙げた。だが、4月半ばに腕を痛め、一度は復帰したものの、5月下旬に再び離脱。6月にトミー・ジョン手術を受けることになる。
手術を挟み、2013年も2014年も15イニング未満。2015年、1年110万ドルの契約で入団したテキサス・レンジャーズでも右足の付け根を痛めて1カ月以上出遅れ、2試合に投げたところでロースターから外されて退団した。
なお、2014年のオフには、鳥谷敬が阪神からFAとなってメジャーリーグ移籍を目指した。トロント・ブルージェイズやサンディエゴ・パドレスから契約の申し出もあったようだが、条件面で折り合いがつかずに阪神に戻った。ブルージェイズの遊撃にはホセ・レイエスがいたため、鳥谷に二塁を守らせようとしたらしい。一方、パドレスの遊撃手は確定していなかった。
5人目の藤浪は、2023年1月に1年325万ドルの契約でアスレティックスに入団した。開幕ローテーションには入ったものの、4登板でブルペンに回され、7月にボルチモア・オリオールズへトレード。移籍前の防御率8.57に対して移籍後は防御率4.85ながら、制球難は解消せずにポストシーズンのロースターには入れなかった。
メッツに在籍した2024年はメジャーリーグに昇格できず、プエルトリコのウィンターリーグで投げたのち、今年1月にシアトル・マリナーズとマイナーリーグ契約を交わした。こちらも青柳と同じく、ノンロースター・インバイティだ。
こうして振り返ってみると、阪神からメジャーリーグに移籍して成功したのは新庄だけ、と言ってもいいかもしれない。新庄にしても、メジャーリーグでのスタッツは年々下降した。2008年に藪が記録した防御率3.57も、リリーフ50イニング以上投げた137人中ほぼ真ん中の69位だが、登板したのはリードしている場面よりもビハインドの場面のほうが多かった。
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