シスラーからイチローへ、84年の時を経て継承されたバッティングの真髄 2004年に起きた奇跡
2004年のイチロー〜シーズン262安打に隠された真実(後編)
野球が生まれた19世紀、讃えられたのはライナー性の速い打球だった。そもそも原っぱで生まれた野球に"柵越えのホームラン"は存在しなかった。スピードこそが野球の醍醐味だったのだ。
ところが、ベーブ・ルースの登場で野球が劇的に変わる。ボールを遠くへ飛ばす──時が止まるホームランの魅力に野球好きは惹きつけられた。1920年、ニューヨークのルースは 54本のホームランを放って、それまでのホームラン記録を大幅に塗り替えた。同じ年、セントルイスでコツコツとヒットを積み重ね、257安打の新記録を達成したのがジョージ・シスラーだった。パワーに傾く時代の流れにシスラーが必死で抗っていたようにも見える。
2004年、メジャー記録となるシーズン262安打を放ったイチロー photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
【シスラーそっくりの打撃フォーム】
シスラーは1973年の春、セントルイスで80年の生涯を閉じた。奇しくも同じ年の秋、日本でイチローが誕生する。2人を結ぶ運命の糸は、この時から結ばれていたのかもしれない。
イチローがシスラーの記録を超えた2004年の夏のことだ。
7月1日、試合前の練習中にイチローがふと、ミスを減らせるかもしれない試みを思いついた。ほんのわずか右足を引くと、自然にバットが寝た。その状態でスイングをするとバットのヘッドがより遅れて出てくるため、ボールを引きつけることができる。ミスショットは劇的に減った。7月以降、イチローは驚異的なペースでヒットを打ち続けた。
6月まで 333打数105安打 打率.315
7月以降 371打数157安打 打率.423
イチローはこう言っていた。
「球場に着いて、バットを握ってケージの近くにいった時、ふと、右足を少し引いた状態で構えてみようと思いました。そうしたら懐が広がって、ピッチャーとバッター、ボールの三角形を今までよりも立体的に見ることができたんです。新鮮な感覚でした。僕はボールを線で捉えるバッターなんですが、その三角形を立体的に見たら、線に早く入ることができる感覚を得たんです」
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。