シスラーの記録まであと1安打に迫ったイチローは「あと1本が打てないかもしれない...」と人知れず追い詰められていた
2004年のイチロー〜シーズン262安打に隠された真実(前編)
日本中が、イチローに視線を注いだ日。
2004年10月1日、シアトル。
イチローは言い知れぬ不安に包まれていた。残り3試合でヒット1本──2004年のシーズン、9月を終えて3試合連続ノーヒットは一度もなく、158試合で256本のヒットを放ってきたイチローをもってすれば、"3試合で1本"は届かないはずのない、簡単すぎる数字に思えた。
しかし、その直前に味わった3打席の凡退がイチローのトラウマになっていた。
メジャー記録となるシーズン258安打を放ち、シスラーの家族に感謝を伝えるイチロー photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
【シアトルでの1打席目がすべてを決める】
9月30日、オークランドでのアスレチックス戦。イチローは第2打席で左腕のマーク・レッドマンからライト前へ256本目のヒットを放って、ジョージ・シスラーの持つ257本というシーズン最多安打の記録まで、ついにあと1本というところまで迫った。
リーチをかけたイチローはその後の第3打席から、タイ記録のかかった打席に3度立っている。第3打席は外の緩いカーブに空振り三振、第4打席はいい当たりのレフトライナー、第5打席はアウトハイのまっすぐに空振り三振。この日、イチローはシスラーの記録に並ぶことはできなかった。
じつはこの3打席の凡退を、イチローは引きずってしまっていた。こんな打席が続いたら、シーズンが終わるまでにあと1本が打てないかもしれない......そんなイチローの心の内を知る由もないファンやメディアは、地元に戻れば必ず打つ、記録はシアトルまでとっておいたんだと、軽口を叩いていた。
そして迎えた10月1日、シアトルでの第1打席。イチローが振り返る。
「あの日、1打席目に入る前、すごく緊張していて自分で普通じゃないというのがわかったんです。オークランドであと1本になってからの3つの打席でヒットが出なかった、そのことがプレッシャーを与えるであろうことは明らかでした。ですからシアトルでの1打席目がすべてを決めると思っていたんです。そこで、もし1本が出なければどんどん苦しくなる。ひょっとしたら3試合で1本出るかどうかもわからない......そこまで追い詰められていましたから、1打席目というのは普通ではいられませんでした」
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。