シスラーの記録まであと1安打に迫ったイチローは「あと1本が打てないかもしれない...」と人知れず追い詰められていた (3ページ目)
イチローはあっという間に歴史を塗り替えた。その瞬間、セーフコ・フィールドのボリュームはマックスまで跳ね上がり、花火が打ち上げられた。一塁ベースに立ったイチローのところへダッグアウトにいたマリナーズのナインが集まり、ポンポンと頭を叩く。上背の低いイチローはすぐに見えなくなってしまった。
仲間がつくってくれた祝福の山からようやく抜け出したイチローは、スタンドで観戦していたシスラーの家族のもとへ駆け寄る。秋のひんやりした空気と花火の煙がフィールドを包み、幻想的な光景を演出していた。
「翌日のセレモニーで、クーパーズタウンのホール・オブ・フェイムの方からシスラーのバットのレプリカをいただいたんですけど、あれはバットじゃない。木です。あんな重い、中身のつまったバットなんて、今じゃあり得ないでしょう。シスラーは大きくない選手だと聞いていましたが、あんなバットを振れるというのは、どんなに短く持ったとしても考えられない。どうやってスイングしていたのか、想像もつきませんね」
錆びついた扉をイチローがこじ開けたら、84年前のベースボールが見えた。シスラーがヒットを量産していた時代、ホームランを量産するベーブ・ルースの登場によって、野球は大きく変わろうとしていた。
その時と似たような状況が、じつは84年後、野球界に暗雲を漂わせていたのである。そんな時にイチローがシスラーの存在を呼び起こした。しかも、それはシスラーが望んでいたのではないかと思いたくなるような、不思議な出来事が起こっていた。シスラーとイチローは、時を超えた縁で結ばれていたのである。
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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