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シスラーからイチローへ、84年の時を経て継承されたバッティングの真髄 2004年に起きた奇跡 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 毎日、同じことを繰り返すのは簡単なようでいて難しい。文化や習慣の違う国に住んでいれば予想もしないことが起こる。荷物が届かなかったり、ホテルの電話で起こされたり、食事先で待たされたり......それでもイチローが試合に向けた準備を疎かにすることはない。例外なく、決めた準備はすべてこなして試合に臨む。自分に対する言い訳は絶対にしたくないからだ。天才だと言われるたびに、イチローはこう言っていた。

「僕にとって、ヒットを打つことは簡単ではありません。持っているすべての力を出さなければ、ヒットは打てるものではないからです。もし何もしないでヒットが打てれば、それは天才なのかもしれませんけど、僕の場合はそうではない。

 もちろん、たまにいますよ。たいしたことをやってないのにヒットを打っているバッターが......そういうときは、アイツは天才かよって思いますけど(笑)、僕はもうこれ以上できることはないというところまでやってきましたからね」

 しかも、がむしゃらに練習してきたわけではない。常に、何のための練習なのかを考えてきた。やるべきことを考え抜いて、それを地道に続けてきたからこそ、ヒットが打てる。自分を厳しく追い込んできたから、ヒットを簡単に打っているように見せることができるのだ。それを「天才だから」と簡単にまとめられてしまうことに、彼は抵抗する。決して才能だけで上り詰めてきたわけではない。

 258本の新記録を達成した直後、イチローは最初にこう言った。

「小っちゃいことを重ねることが、とんでもないところにたどり着くただ一つの道なんだなと、今、感じています」

 2004年、イチローに262本のヒットをもたらしたあの閃き──シスラーは忘れられつつあったバッティングの奥義を、イチローに伝えてもらいたかったのではないだろうか。シスラーそっくりのフォームに変えた7月1日の夜、イチローは初めてセントルイスを訪れた。そこには今でもシスラーが眠っている。

 あの日、イチローが聞いたのは、やはりシスラーの声だったのだ。

著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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