初対決から15年、イチローと松坂大輔がともに背負ってきたもの (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by AFLO

 これには松坂も仰天した。何しろ、イチローにハグされたのは初めてだった。もちろん、イチローがアメリカナイズされているわけではない。それだけの想いを、松坂に伝えたかったのだ。

 そして、しばしの談笑。

 声は聞こえないものの、ふたりの笑い声が時折、耳に飛び込んできた。マウンドと打席での勝負は実現しなかったものの、ヤンキースのユニフォームを着たイチローとメッツのユニフォームを着た松坂が同じ空気を共有して、言葉を交わす。なんとも贅沢な光景だった。松坂はこう言った。

「イチローさんとはなかなか会って話す機会はないんですけど、今日は会って話せてよかったと思いました。(何か新しいエネルギーになったという部分はあったか、と訊かれて)自分にとって新しいエネルギーになりました。というのは簡単なんですけど、確かにそうなんですけど、でも、そうじゃないというか……難しいですね。力になったと、簡単には言いたくない。イチローさんにとっては何気ない言葉、ひとことなのかもしれませんけど、僕にとってはそのひとつひとつが 重く響くんです。そういう話のできる人はいませんし、イチローさんは僕にとっては特別な存在。今日が最後のチャンスでしたから、グラウンドに出てきたイチ ローさんを見てホッとしながら話してました。また機会はあるでしょうし、そのときには僕の思い入れたボールを、ぜひ打席で見てもらいたいと思います」

 西武ドームで初めて相見(あいまみ)えたのが、1999年5月16日。

 あれからちょうど15年を経て、今、イチローが松坂を同志と呼び、松坂がイチローを特別だと言う。ふたりだけが背負っているものとは、いったい何なのか。

 イチローは言った。

「同志と言ったのは、アイツがどれだけ叩かれても、(レッドソックスとは)違うユニフォームを着て、それでも前へ進もうとしてるというのが大きいんじゃないの」

 松坂はこう言った。

「前へ進んでいくという気持ちは昔から自分にあるものだと思ってますけど、それが途切れないのは常に前へ進んでいくイチローさんを見てきたからじゃないですか」

 日本で輝き、メジャーでも同じ輝きをそのまま放とうと、愚直に前へ進んできたふたり。

 こうすればいいのに、ああすればいいのにという周囲からの声に耳を貸すことなく、信念を貫いて自らのスタイルを守ってきたからこそ、どれほど追い詰められた立場に立たされても胸を張っていられる。

 記録には残らない、2014年のイチロー対松坂。

 それでもふたりだけの轍(わだち)は、確かにニューヨークの地に刻まれていた。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る