【高校野球】「ケガさえなければ巨人の4番だった」 KK世代の野球人が語る清原和博と並び称された伝説のスラッガー (4ページ目)
帝京の正捕手として1985年春の甲子園に出場した柳沢達也氏。決勝で伊野商に敗れるも準優勝 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る新藤 2年秋の関東大会直前、左腕対策の打撃練習で、左投げの佐久間が打撃投手をしてくれたんだ。その時、顔面に打球を受けて骨折し、関東大会を欠場した。僕らは佐久間抜きで優勝できたけど、その冬、佐久間は「甲子園で絶対に活躍したい」と誰よりもバットを振り込んだ。それで、今度は左手首を痛めてしまった。選抜でもフルスイングできなかったからね。最後の夏は、医師から「フルスイングは1打席1回だけ」と制約を受けながら、2試合連続で場外ホームラン(笑)。負けた成田戦では、4打席すべて敬遠だった。
小板橋 高校卒業後は東海大でプレーしたんだけど、手首のケガの影響で腱まで痛めてしまって。本人は社会人へ進むつもりだったけど、巨人から指名された。その後、アメリカで手術を受けたよね。
新藤 ギリギリまで巨人へ入るか迷っていたね。
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