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【高校野球】「ケガさえなければ巨人の4番だった」 KK世代の野球人が語る清原和博と並び称された伝説のスラッガー (2ページ目)

  • 新田光●文 text by Hikaru Nitta

東海大甲府の遊撃手として1984、85年の夏の甲子園に出場した小板橋則之氏。85年はベスト4進出 写真は本人提供東海大甲府の遊撃手として1984、85年の夏の甲子園に出場した小板橋則之氏。85年はベスト4進出 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る小板橋 うち(東海大甲府)の大八木(治)監督も「初戦でPLを引け」って言っていた。「初戦ならうちの(エース左腕の)福田和幸を打てないぞ」って。2戦目、3戦目になると福田も体力的に厳しくなるから、「勝負するなら初戦しかない」と。当時はスライダーを投げる左投手も珍しかったし、小柄だけど140キロ近い球を投げていたからね。

柳沢 桑田と清原はプロでもすぐに活躍していたし、次元が違ったよね。同級生じゃないような感覚だった。

小板橋 国体の時、桑田と清原に挟まれて写真を撮ってもらったんだけど、「こいつら、やっぱり違うよな」っていう独特のオーラがあったよね。

寺島 俺も国体で一緒に撮ってもらった。宿舎が近くて、みんなで集まったんだよね。

新藤 高校3年春の選抜で、開会式の前日に予行練習があったんだけど、その時、各校のバスが並んで待っていたなか、PLだけ警備がものすごく厳重だったのを覚えている。

【清原が甲子園で放った特大アーチ】

寺島 だってKKがいた3年間、PLは5季すべて甲子園に出場して、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回でしょ。あり得ないよね。あのふたり以外にも松山秀明とか、すごい選手ばかりだった。

新藤 同じチームから5人もプロに入ったんだからね。あんなチーム、なかなかないよ。

寺島 うち(関東第一)の木島強志が松山と仲がよくて、高校3年の11月に松山が東京に来た時、俺の家に泊まりに来たんだ。その時に松山から「おまえ、すごいよ」って言われて。「何が?」って聞いたら、関西の新聞記者が選んだ「夏の甲子園ベストナイン」の中堅手が俺だったって。甲子園ではちょっとしか活躍していないのにね。でも、あれはうれしかったな。野球をやっていて一番うれしかったことかもしれない(笑)。

小板橋 あの夏、覚えているのは、高知商戦で清原が中山裕章からレフトスタンドへ放ったホームラン。バックネット裏で見ていたんだけど、打った瞬間、甲子園全体が一瞬シーンとなった。あれは高校生の打球じゃなかったよ。 

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