【高校野球】「俺は甲子園に行かれへん男や...」大阪桐蔭・西谷浩一が"持ってない監督"だった頃 何度も閉ざされた聖地の扉 (6ページ目)
今の大阪桐蔭を知る者からすれば、信じられないような言葉である。だが、試練はまだ続いた。辻内崇伸、平田良介が投打の軸となり、大きな期待を集めた2004年秋。大阪大会4回戦で上宮太子に、まさかのコールド負けを喫する。
「辻内が普通に打たれて、こっちは打てず。完敗でした」
まさに、ことごとく──。あと一歩まで行けば、逃げていく。手を伸ばせば、遠ざかっていく。「甲子園に嫌われている」と、西谷自身がそう思わずにはいられないほど、何度も何度も聖地への道を閉ざされてきたそんな西谷に、最後の一歩を越えさせたのは、16歳の怪物だった。
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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