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【高校野球】PL学園vs横浜 1998年夏の死闘を振り返る「ボールが手から離れた瞬間に、やばいと思いました」

PL学園野球部OBの平石洋介さん、上重聡さん、今江敏晃さんがスポルティーバのYouTubeチャンネル「ベースボールチャンネル」に登場。3歳年下の今江さんが聞き手となり、平石さんと上重さんに、伝説となった1998年・夏の甲子園準々決勝、横浜高校との死闘を振り返ってもらった。
 

【本当に強かった横浜高校】

今江敏晃(以下、今江) 甲子園シーズン、おふたりに聞かないといけない話題と言えば、1998年の横浜高校戦についてです。横浜高校はやっぱりすごかったですか?

平石洋介(以下、平石) すごいですよ。松坂大輔さんに目が行きがちですけど、ほかの選手もみんなすごかった。

上重聡(以下、上重) 新チームになってから、公式戦で1回も負けてない。44連勝ですよ。秋の関東大会、センバツ、夏の甲子園、国体まで1回も負けてないんです。

平石 横浜は松坂さんが投げていない試合でも勝っているし、野手のレベルも含めて、やっぱりすごかったんだと思う。あれほど「みんなが野球を知っている」と感じたチームは、最初で最後かもしれないです。

上重 野手の攻撃力は互角だと思っていたんです。あとはもうピッチャーの差、松坂大輔と上重の差だと。春のセンバツでは、3対2でPL学園が負けていましたから、夏までに僕が松坂大輔になることができれば、いい勝負ができるんじゃないかということで、松坂さんの投げているビデオを毎日見て、フォームをマネしたんです。

今江 フォームのマネですか?

上重 あの速い球は、フォームから生み出されているんだと思ってマネをしたら、球速が5キロくらい上がったんです。ただ、背中が痛くなりました(笑)。あとから知ったのですが、松坂さんは背筋が強いから、あの投げ方ができていたそうです。僕はそのフォームの名残をとどめつつ、自分の投げ方で夏に臨みました。

【前夜、グラウンドに戻って最後の対策】

上重 横浜戦の前日が、実はすごかったんです。第3試合で佐賀学園との試合を勝って宿舎に帰り、翌日の横浜戦は第1試合だったので、朝4時に起きないといけませんでした。それでミーティングをして、さあ早く寝ようというところで、選手から「練習がしたい、松坂対策がしたい」という声が上がったんです。そこから1時間かけてPL学園のグラウンドに戻って、練習を夜中まで続けました。

平石 センバツで敗れて以降、僕らの合言葉は「打倒・横浜」「打倒・松坂大輔」、それしかなかったです。ほかの高校のみなさんには失礼なんですが、正直、眼中になかった。松坂大輔をどう打つか、横浜に勝つにはどうすればいいか、それだけを考えていました。その思いがあったからこそ、コーチが「練習に来たいやつ来い」と声をかけたら、ほぼ全員が手を挙げていました。

今江 全員ではなかったんですね(笑)。

平石 僕も知らなくて、最近、ひとりだけ(宿舎に)帰って、(グラウンドに)いなかった人がいたのを知ったんです。エースだけ「翌日投げるから、ゆっくり休んでいい」と言われて、温泉に浸かっていたらしいよ(笑)。

上重 「みんな帰ってこないな」って思いながら、温泉に浸かっていました(笑)。そのおかげで延長17回を投げきれました。

今江 それは、正解だったかもしれないですね。

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