【高校野球】「俺は甲子園に行かれへん男や...」大阪桐蔭・西谷浩一が"持ってない監督"だった頃 何度も閉ざされた聖地の扉 (5ページ目)
あとは発表を待つだけ──。ところが1月半ば、過去の部員をめぐる案件が問題視され、その責任を取る形で、西谷は選抜出場校の発表を前に監督を辞任する。選抜はコーチだった田中公隆(現・聖隷クリストファー監督)が指揮を執り、2回戦で敗退した。ようやくたどり着いたと思った甲子園に、またしても立つことができなかった。
「落ち込みました。俺って、そんなに悪いことしてるか......。なんでこんなに甲子園に嫌われるんや、って......」
負の流れは、まだ終わらなかった。気持ちも新たに挑んだ2004年夏。2年生の平田を軸とした攻撃陣に投手陣もそろい、3年ぶりに決勝へ進出する。相手は宿敵PL。十分に勝算はあった。延長15回を戦い、4対4。大阪大会決勝として史上初の引き分け再試合となった。翌日の再試合では、PLの先発だった1年生・前田健太から7点を奪った。それでも勝てなかった。3年前に続いて決勝で敗れ、またも甲子園を逃した。
「縁がない、運がないというか、周りの人から『西谷はよう頑張ってるけど、持ってないな』と思われてるんやろうな、というのをすごく感じました。自分でも、『俺ってやっぱりそういう運命、そういう人生なんや』と。あの頃はずっとそんなことを思っていましたね」
【失意の西谷をさらにへこませた宮本慎也のひと言】
しかも、この決勝再試合には、西谷の傷口に塩を塗るような"後日談"までついてくる。
「再試合で負けた次の日、日体大のセレクションに、今コーチをしている橋本(翔太郎)を連れて前泊で行くことになっていたんです。僕は用事があって橋本を先に行かせて、最終近くの列車に乗った。そうしたら、車内の電光掲示板のニュースに『甲子園最後の一枠PL 激闘で大阪桐蔭を下す』って出て、それが繰り返しずっと流れてるんです。それを見て、『また俺は何をしてるんや......』と」
話は、まだ終わらない。
「東京行きの新幹線が名古屋に着いたところで、古田(敦也)さんと宮本(慎也)が乗ってきたんです。おそらくナイターが終わって、泊まらず東京へ帰るところだったんでしょう。向こうはグリーン車でしょうから、飛び乗って通路を歩いていたところで宮本が僕に気づいて、『おっ、ありがとう』って。年齢は僕がひとつ上ですけど、浪人しているので、大学では同志社の宮本と関大の僕は同学年で戦っていたんです。
たぶん『PLを甲子園に行かせてくれてありがとう』という感じだったんでしょうけど、こっちは『なにがありがとうや......』という気分ですよ。それより『俺は甲子園に行かれへん男や......』と、新幹線の中で、そこからまたへこんでました」
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