【高校野球】「KK最後の夏」が次の黄金時代をつくった 中村順司が語る、桑田真澄・清原和博から立浪和義らへ受け継がれたもの (3ページ目)
── 桑田選手、清原選手と過ごした3年間を、今あらためてどう振り返りますか。
中村 もちろん、桑田、清原だけではありません。本当に練習熱心な選手が揃っていました。私は監督として、ずっと「勝てば選手の力、負ければ監督の責任」という考えで選手たちと向き合ってきました。1年夏に全国制覇したことで、彼らは高校生活のほとんどを「追われる立場」で過ごすことになった。周囲から勝って当然と思われるプレッシャーも相当あったでしょう。
それでも最後の夏にもう一度、頂点までたどり着いた。それは、松山主将を中心に、選手一人ひとりが自分の役割を理解し、日々努力を重ねた結果です。そして、その姿を次の世代が見ていた。先輩の背中を見て、後輩が育っていく。そうやってPLの野球が受け継がれていったのだと思います。
中村順司(なかむら・じゅんじ)/1946年、福岡県生まれ。PL学園高(大阪)で2年の時に春の選抜甲子園に控え野手として出場。卒業後、名古屋商科大、社会人・キャタピラー三菱でプレー。76年にPL学園のコーチとなり、80年秋に監督就任。81年春の選抜で優勝を飾ると、82年春優勝、83年夏優勝。84年春の決勝で敗れるまで甲子園20連勝を記録。98年の選抜を最後に勇退。18年間で春夏16回の甲子園出場を果たし、優勝は春夏各3回、準優勝は春夏各1回。99年から母校の名古屋商科大の監督、2015〜2018年には同大の総監督を務めた
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