【高校野球】球速130キロ台だった無名右腕が大変身 上田西・内藤峻が最速150キロのドラフト候補になったわけ (3ページ目)
内藤は基本的に喜怒哀楽をあまり出さずに受け答えするのだが、時折こちらがハッとする言葉を吐き出すことがある。「自分のフォームがない」発言の真意を聞くと、内藤は事もなげに答えた。
「常に探りながら投げています。プロ野球選手のフォームを参考にしたり、モノマネみたいな感じですね」
この考えはユニークながら、人によって評価は分かれるだろう。悪くとらえるなら「軸になるフォームがない」と言えるし、よくとらえれば「常に最高のフォームを探求している」とも言える。そんな感想を伝えると、内藤はうなずきながらこう応じた。
「今の自分に満足してしまったら、それ以上はないので。その時に一番いいものを追求しています」
話せば話すほど、独自の世界観を持った投手ということが伝わってくる。プロ向きの性格なのかもしれない。
【高卒でプロを志望するわけ】
内藤は長野県北安曇郡白馬村の出身だ。白馬村と言えば、ノルディック複合メダリストの渡部暁斗が生まれ、フリースタイルスキーの上村愛子が育った地である。内藤も幼少期からスキーに親しんでいたという。
白馬村はウィンタースポーツに強い一方、野球のイメージはない。そんな印象を伝えると、内藤はこう答えた。
「自分も野球で有名な人は聞いたことがありません。小学校のチームは弱かったし、中学もそんな強くなかったので」
白馬中では軟式野球部に所属し、公式戦には連合チームで出場した。ただ、内藤は当時から「トレーニングだけ自分でやっていました」と語る。上田西の総監督を務める原公彦氏に勧誘を受け、白馬村を出る決意をした。
ただし、その時点では「高校で野球をやめるつもりでした」と、プロを意識していなかった。上田西での生活のなかで、内藤の視野は少しずつ広がっていったのだ。
「上田西は横山さん(聖哉/オリックス)のようなプロも出ているし、自分とは意識が全然違いました。そういう環境にいるうちに、自分の意識も変わっていきました」
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