【高校野球】大阪の高校球界をザワつかせた異例の人事 履正社出身監督が名門・市岡の再建に挑む (3ページ目)
市岡の野球部監督を務める履正社出身の江原祥太氏 photo by Takeshi Shimizuこの記事に関連する写真を見る 教員採用試験は一発で合格。最初の赴任先は西淀川(現・淀川清流)で、野球部の監督にも就いたが、部員不足で5校連合チームからのスタートだった。
「これまでは、大勢の部員がいて、勝利を求める野球でした。でも連合チームでは、1本ヒットを打ったとか、ひとつアウトを取れたとか、そうしたことでも喜べるんだと。いろんな先生とも出会えて、本当に濃い時間でした」
だが2年目の夏が終わって、部員がいなくなり、統廃合が進むなかで生徒募集もストップ。部活どころではなくなっていたが、それでも落胆はなかったという。
「教員である父から『最初の5年の積み重ねで教員として成長できる』と言われていたので、そこからは教員としての勉強に励みました」
そして2019年、市岡へ異動となる。
「三本線の帽子は、高校時代から印象にありました。市岡について調べれば調べるほど、とんでもない伝統校だと知りました」
赴任1年目に、自身の母校である履正社が夏の甲子園で優勝を果たした。そして江原監督にも大きな出来事があった。U−18高校日本代表のアシスタントコーチの話が持ち上がったのだ。
「行かない手はないなと。体育科の先生にも『行っておいで』と言っていただいて。文化祭の頃で、学校には迷惑をかけましたが、いろんな方にサポートしていただきました」
その年の代表メンバーは、佐々木朗希(ドジャース)、宮城大弥(オリックス)、奥川恭伸(ヤクルト)など20人中、半数以上がプロ入りした黄金世代。代表監督の永田裕治(現・日大三島監督)らの指導にも触れ、大きな刺激を受けた。
【「オール市岡」を受け継ぐ覚悟】
江原監督が市岡の顧問となり、最も印象に残っているのは、野口さんが口にしていた「オール市岡」という言葉だった。
「最初はピンとこなかったんですよ。履正社は、保護者やOBに応援されますが、見ず知らずの人に応援されることはありません。でも市岡は、OBでない人も応援してくれる。こんな学校があるんやと。絶やしちゃいけない野球部やなと思いました」
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