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【高校野球】大谷翔平を攻略して勝利も... 盛岡大附を待っていた包囲と怒声、甲子園決定直後の異常事態 (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Genki Taguchi

 血の気が多い世代だっただけに、次第に乱暴な口調になっていく者もいた。怒りが沸点に達しそうになるなか、それでも一線を越えなかったのは、目指すべきものがあったからだと、千田は代弁する。

「モリフ(盛岡大附)は甲子園で勝ててなかったんで、『初勝利しよう』っていう目標もあって。あと、自分たちより監督とコーチがあの状況に対してすごく悲しそうにしていたんで、『オレたちのために我慢してくれてるんだ』と思えたのが一番でしたかね」

 1時間ほど経ち事態が鎮静の様相を見せた頃、チームはようやく人通りの少ない出口からバスに乗り込むことができた。

【学校に届いた脅迫ファックスや抗議電話】

 甲子園を決めた翌日以降も、世間の憤りは収まらなかった。盛岡大附には、関口宛に<おまえは教育者ならファウルだと言え>と直筆のファックスが届いたり、電話が殺到したりする抗議が続いたが、「こんなもんなんだろう」と、腹立たしさを覚えることはなかった。

 今になって思い返すと、「私も選手たちも気は張っていたかもしれない」と客観視できるが、相手チームの分析をはじめとする甲子園の準備は入念に行なえたと自負している。

 だが、盛岡大附は立正大淞南(島根)との初戦で、延長12回の末に敗れた。春夏合わせて9度目の挑戦。「結局は勝てないのか」と失望はあったが、今は「大谷くんを倒して勝ち運を使い果たしたんでしょうか」と関口はおどける。

 盛岡大附の、「打倒・大谷」の物語は終わった。しかしその余波は、まだ残っていた。

 甲子園の閉会式。日本高野連の奥島孝康会長が、大会総評で「花巻東の大谷投手をこの甲子園で見られなくて残念」といった趣旨の見解を述べたことが物議を醸した。

 大谷を巡って再び世間がざわついたが、関口の回想はどちらかといえばうれしそうだった。

「テレビで観ていました。『決勝にも行ってないのに、うちの校名を出してくれている』と。ここまでの影響力があるんだと思いました」

 大谷の球友である千田も、高野連会長の発言に飛びついていた。当事者たちにとってすでに過去の出来事。いい思い出となっていた。

「"大谷翔平を甲子園で観たかった派"に賛同しますよ。でも、勝ったのはモリフなんで」

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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