【高校野球】甲子園から消えた「野球王国」 大阪桐蔭の4番と山梨学院のエースはなぜ愛媛を離れたのか? (3ページ目)
宇和島ボーイズの小川洋監督は、1988年春の選抜で初出場初優勝を果たした宇和島東(愛媛)のエースだった。なお、2024年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団した有馬惠叶(聖カタリナ学園)も、同チームのOBである。
谷渕のふたりの兄は高知高に進んでいたが、両親は大阪への進学を後押ししてくれたという。
「親元を離れることで気づくこともあるだろう、と賛成してくれました。四国よりもレベルの高い環境で野球をすれば、自分もそれに追いつける。そうすれば、もっとうまくなれると思いました」
高知県にも強豪校はたくさんあるが、谷渕は大阪桐蔭一択だったという。
「小学生の時に見た大阪桐蔭のインパクトが強すぎました」
【レベルの高さと充実した環境】
山梨学院の檜垣とは、中学時代からお互いをよく知る仲だ。
「球速はそれほどありませんが、タイミングを外すのがうまいピッチャーでした。同じリーグで戦った選手と甲子園で対戦できるのを楽しみにしています」
その檜垣は、池内が所属した今治中央ボーイズの出身だ。
「県外で野球をしたい。レベルが高い関東の高校でと考えました」
檜垣が選んだのは、2023年春に選抜で優勝を飾った山梨学院だった。
「選抜で優勝するところをテレビで観戦していました。山梨学院の設備、選手の練習に対する姿勢を実際に見て、すばらしいと思いました。そういう環境で、レベルの高い選手と競い合うことで、野球がうまくなったと思います。高校を卒業したら大学で力をつけて、いずれはプロ野球に行きたいと考えています」
地元で生まれ育った地域から甲子園を目指すのも、15歳で親元を離れ、見知らぬ土地で腕を磨くのも、また高校野球である。高校最後の夏まであと4カ月ほど、戦いはまだまだ続く。愛媛生まれの野球ファンのひとりとして、彼らの成長を見守りたい。
著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長
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