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【高校野球】甲子園から消えた「野球王国」 大阪桐蔭の4番と山梨学院のエースはなぜ愛媛を離れたのか? (2ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Tomohiro Motonaga

 2001年夏の甲子園で松山商がベスト4に進出し、2004年には済美が春に優勝、夏は準優勝と躍進を遂げた。しかしその後は、2013年春に済美が準優勝を果たすが、長く低迷が続いている。

「印象に残っているのは、安樂智大さんがいた2013年の済美くらいで、むしろ県外のチームに憧れを持つ選手が多かったように思います。地元の高校から甲子園を目指したいと思っていた僕でさえ、松山商が強いという印象はありませんでした」

 実力に自信のある選手であればあるほど、「県外の強豪で日本一を目指したい」と考えるのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれない。

 ちなみに、池内のチームメイトの俵藤夏冴(ひょうどう・なさ)は大阪桐蔭に、渡部颯太は明徳義塾に進んだ。

「俵藤は春夏連覇を果たした大阪桐蔭でベンチ入りし、渡部は明治神宮大会を制した明徳義塾で主軸を任されました。僕も含めて、3人とも甲子園の土を踏むことができました」

 俵藤も、渡部も、池内も、いずれも身長は180センチある。この3人が同じチームでクリーンアップを組めば、相当な破壊力を発揮していたに違いない。だが、それぞれの進む道は分かれた。

【ふたりの兄は地元の高校に進学】

 今回の選抜に出場し、ベスト8以上に進出した高校のなかに、愛媛のボーイズチーム出身の選手がふたりいる。

 ひとりは、大阪桐蔭で4番・DHを任されている谷渕瑛仁(えいと)。もうひとりは、山梨学院のサウスポーエース・檜垣瑠輝斗(るきと)である。

 谷渕は高知県在住だったが、中学進学後に隣県・愛媛の宇和島ボーイズに入団。週末には、車で往復3時間ほどかけて練習に通っていた。大阪桐蔭を志望した理由について、谷渕はこう言う。

「小さい頃からテレビで高校野球を見て、大阪桐蔭に憧れていました。中学1年の時、宇和島ボーイズの小川洋監督に『大阪桐蔭に行きたい』と伝えたのですが、実力不足で難しいと言われました。そこで課題克服のためにコツコツと練習を重ね、中学3年の春、ようやく小川監督に認めてもらいました」

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