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【プロ野球】憧れの坂本勇人を追いかけて 武岡龍世が選んだ故郷から1000キロ離れた地での挑戦

  • 佐々木享●文 text by Sasaki Toru

ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第18回 武岡龍世(ヤクルト)

 徳島県吉野川市出身の武岡龍世が、地元から1000キロ以上も離れた地を「挑戦」の場に選んだのには大きな理由があった。

 県外選手の多い八戸学院光星(青森)でも「四国からは僕が初めてだと思います」と言いながら、武岡はこう語ったものだ。

「坂本選手みたいになりたいと思って光星に来ました」

八戸学院光星時代、東北ナンバーワン遊撃手と称された武岡龍世 photo by Ohtomo Yoshiyuki八戸学院光星時代、東北ナンバーワン遊撃手と称された武岡龍世 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る

【1年春からレギュラーとして活躍】

 同校OBで巨人のドラフト1位指名を受け、今もなおプロの一線で活躍する坂本勇人に憧れ、武岡が縁もゆかりもない雪国の高校を強く意識するようになったのは、吉野川市立鴨島第一中1年の頃だった。徳島ホークス(ヤング)でプレーしていた当時から、彼は遠く離れた青森の地に思いを馳せていたのである。

 ちなみに、高校在学中の武岡のために、両親は徳島の実家から車で約18時間もかけて応援に駆けつけたというのだから、一家をあげての「挑戦」だった。

 憧れの場所にたどり着き、夢を追いかけ続ける武岡は、東北を代表する強豪校ですぐさま遊撃手として頭角を現した。

 1年春からスタメンに名を連ね、着実に成長を遂げていった。2年夏の青森大会では2番打者として打率5割を記録し、驚異的な出塁率を誇った。また2本のアーチを放ち、チームトップの12打点を挙げるなど、甲子園出場の原動力となった。

 聖地でもその打撃センスは光った。明石商(兵庫)との初戦では2安打2打点の活躍を見せ、卓越したバットコントロールは多くの注目を集めた。

 新チームになってからも、武岡の放つ存在感は揺るがなかった。主将という肩書が加わったことで、その存在はさらに大きくなり、まさにチームの精神的支柱へと成長していった

「夏を経て緊張することがなくなりました。ヒットや守備でのエラーも含めて、甲子園でいろいろと経験できたのは大きかったです」

 その言葉どおり、打席での落ち着き、守備での堅実さ、多くの要素で安定感を感じさせる選手になっていった。

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著者プロフィール

  • 佐々木亨

    佐々木亨 (ささき・とおる)

    スポーツライター。1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)、『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボールマガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)などがある。

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