「あきらめないで続ければ、輝ける時が絶対来る」マリナーズ2A で2025年を終えた24歳・大山盛一郎が挑戦のなかで得たものとは (2ページ目)
【ドミニカ共和国から再渡米、そして2Aデビュー】
波乱の2025年シーズンをマリナーズ2Aで終えた photo by Phrake Photography ドミニカでは、基本的にホテルから出ないよう言われており、練習の時だけ送迎車で移動した。
移動の車中から見える風景は、裸足で歩いている人やぼろ屋、野良犬と見慣れないもの。他車の運転も乱暴なものだった。
アカデミーでは16~19歳ぐらいの青年たちが、決して裕福・安全とはいえない国々からやってきて、住み込みでトレーニングしていた。まず驚いたのは、彼らのレベルの高さだった。
「高校生で99マイル(158.4キロ)投げる選手は、そういないですよ」と大山も興奮した様子。「全然年下なんですけど、みんな人生かかっているという感じがすぐに見えました。必死でやっていました。みんなで刺激し合いながら、『これで飯食うぞ』という覚悟も感じられました。自分も頑張らないといけないと思いました」。自らも覚悟ができた。
ドミニカ共和国に来て、約2週間。ようやくアメリカのビザが取れ、アリゾナ州のルーキーリーグ、アリゾナ・コンプレックスリーグに合流したのが、最終試合直前。大山が出場できたのは最後の2試合だけだったが、デビュー戦となった試合は5打数で2塁打1本を含む2安打、1得点。シーズン最終試合となった2戦目は、3打数3安打、2打点1四球1得点と2試合で打率.625、出塁率.600、長打率.750を残した。その後、マイナーリーガーやドラフト指名を受けた選手らが、シーズン終了後も実戦形式の試合ができるよう設けられた"ブリッジリーグ"に参加した。
大山の"波乱の2024-25年物語"はまだ続く。
ブリッジリーグも終了して母校カリフォルニア大アーバイン校(UCI)のあるカリフォルニア州アーバイン市に戻り、到着後、すぐに日系スーパーに出向いて食事をしていた時だ。マリナーズ関係者から電話を受けた。オタワの時と同じように「クビ?」の2文字が浮かんだが、その内容は、ケガ人が出て内野手が足りなくなった2Aのアーカンソー・トラベラーズにすぐに合流してほしいということだった。
急いで食事を済ませて支度をし、その2時間後には直近の空港に到着。遠征先のオ クラホマ州タルサに向かい、トラベラーズにとってシーズン最後の2試合に備えた。最初の試合は、結局出番はなかった。次の試合でもスターティング・ラインナップに名前はなかったが、開始2時間ほど前に先発だと言われて2Aデビューを果たした。
「1イニングから、全集中してやりました。この試合に懸けよう、この1試合で自分にできることをすべて見せようと思ってやりました。異様に落ち着いていました」
9番セカンドで出場した大山は、4打数2安打、1死球1盗塁1得点でチームの勝利に貢献した。
正直、2Aでも「いけるなという自信はあります」と手応えを感じた。
「でも来年どのレベルでスタートするかはわからない。それは自分ではコントロールできないので、どこに行っても自分のベストを尽くして、後悔のないように 1試合 1試合やっていきたい。今はメジャーというよりも、生きるか死ぬかなので」
実は大山の名前、盛一郎(じょういちろう)は、今年アメリカの野球殿堂入りを果たしたイチローさんから両親がつけたもので、「最初に見たメジャーリーグの球団はマリナーズですし、初めて買ったユニフォームもマリナーズ。最初に買ったバットもイチローさんのモデルバット」だと言う。それだけにマリナーズで上に上がってイチローさんに挨拶したいという思いもモチベーションとなっている。
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