【高校野球】春の大阪大会で公立校唯一のベスト8 堺東の快進撃はいかにして起きたのか? (5ページ目)
【息子はアマ球界のエリートコースを歩む】
ちなみに、当時幼かった2人の子どもは、すでに成人している。今年、社会人となった長男の話が何気なくつながったところで、思わぬ発見があったので紹介しておきたい。
父の遺伝子を受け継ぎ、生粋の野球小僧に育った長男は、高校進学時に自ら志願して高知の明徳義塾へ。2年夏にはクリーンアップを任され、甲子園にも出場。新チームではキャプテンとなり、秋の神宮大会では本塁打も放つなど、翌春の選抜での活躍も大いに期待されていた。その選手こそ鈴木大照であることが、話の途中で判明した。
期待が高まっていた3年春の選抜はコロナ禍で中止となり、夏も代替大会。最後は交流戦として甲子園で1試合だけ戦ったが、父とはまた違った意味で、不完全燃焼の高校時代を送ることになった。
それでも、野球人生は力強く続いている。大学は東京六大学の名門・法政大へ進み、さらに今春からは社会人野球の強豪・パナソニックへ。アマチュア球界のエリートコースを歩んでいる。
「息子の話も普段することがないので、近い人間以外知らないです。それに息子の野球は甲子園も含めどの大会も生で見てなくて、夜にネットで見るくらい。小・中と息子が行っているチームのグラウンドで教えたこともなかったですね。野球シーズンはいつも生徒たちを見ているから時間がないんですよ」
母の導き、家族の協力もあり、晴れて野球のある生活に戻った鈴木だったが、指導者人生が思惑どおり順調に進んだわけではなかった。
(文中敬称略)
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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