元大阪桐蔭・福森大翔は、医師に「そう遠くないうちに命が尽きる」と告げられても、「やれることはすべてやる」と覚悟を決めた (3ページ目)
3年夏の大阪大会決勝で先制のタイムリーを放った福森大翔さん 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る 淡い期待など入る余地がないほど厳しい言葉が続いたが、極めてシビアな見通しをはっきり告げられたことで、福森のなかに「もっと生きたい」「まだ死にたくない」という思いが、これまで以上に強く湧き上がってきた。
「やっぱりまだ29歳なんで。延命のための治療しかないと説明されても、素直に『はい、わかりました』とは......。治らないと言われているがんでも、なんとか治して乗り越えたいという気持ちが強くなったんです。
だからといって、あと何十年生きたいとか、80歳まで生きたいとか、そんな欲はないんです。ただ、まだ死にたくない、もう少し生きたい。だからやれることやろうと。そこだけははっきりしました」
3度目の手術のあとには、がん細胞に起きている遺伝子の変化を調べ、がんの特徴を把握する「がん遺伝子パネル検査」も受けた。
がんの特徴が詳しくわかれば、その人により適した治療や効果的な薬が見つかるかもしれない──そんな望みをこめて受けた検査だった。残念ながら、ここでも一筋の光が差すことはなかったが、やれることはすべてやると決断した。
【過酷な抗がん剤治療】
今年1月からは、当初、エビデンスがないという理由でやってこなかった抗がん剤治療も開始。あくまで状況的には「延命のため」ということではあったが、本人のなかではそれ以上の効果を期待しての挑戦でもあった。
抗がん剤治療は、基本的に「服用4週間・休薬2週間」の6週間を1セットとし、これを2クール行なったうえで、画像診断などを行ない、治療の効果を確認していくと説明を受けた。ただ、1種類目の抗がん剤は明らかに効果が見えなかったため、1クールで終了。
2種類目は2クールを終えたところで、腫瘍の一部に進行は見られたものの、一方で効果も確認できたため、予定を伸ばし3クール目の投与で様子を見ることになった。
「今やっている抗がん剤は髪の毛が抜けるタイプじゃないらしく、見た目もあまり変わらないんです。だから普通にしゃべっていると、友だちからも『ほんまにがんか?』って冗談で言われたり。4月の終わりに、トモ(森友哉)たちと軽く食事をした時も、そんな感じでいじられました(笑)」
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