大阪桐蔭かPL学園か 藤浪晋太郎は高校進学の際、「甲子園に出場するだけでなく、先も考えて...」2校で迷っていた (4ページ目)
【西谷監督の心を動かした「練習のできる子」】
最終決断は、中学3年の11月。その頃、西谷には藤浪獲得に積極的になる出来事があった。
その年の夏、大阪桐蔭の4番を打っていた中谷良也という選手は、泉北ボーイズ出身だった。ある時、西谷が「藤浪ってどう思う?」と中谷に尋ねてきた。すると、翌年から同志社大に進む右のスラッガーは、「いいですよ、特にスライダーが。ウチに来たら、絶対に力になると思います」と即答した。中谷が藤浪を推したのには、ちゃんとした理由があった。藤浪が説明する。
「中学3年の9月の終わりか10月頭に、泉北ボーイズのOB戦があって、そこで中谷さんから3つか4つ、三振を取ったんです。それがあって、西谷先生にいいように言ってくれたんだと思います」
加えてもうひとつ、西谷のなかに藤浪への関心が高まる別の理由もあった。
ある日、泉北ボーイズの練習に足を運び、グラウンド脇のプレハブ小屋でチーム関係者と話し込んだあとに外へ出た時だ。話し込む前にグラウンドを走っていた長身の少年が、まだ外野を走っていたのだ。西谷が振り返る。
「おそらくポール間を1時間くらい走っていたと思うんです。それを見て、『練習のできる子やな』という印象が頭に残ったのはありました」
三度の飯より野球好きの子どもとグラウンドに立ちたい──そう望む西谷にとって、その姿は「一緒にやりたい」と思わせるには十分だったのだろう。
最後は、藤浪本人が両校の練習を見て決断した。
「どちらもレベルの高さを感じましたが、フラットに見た時に、練習に活気を感じたのが桐蔭で、『ここでやりたい』とひかれるものがありました」
ようやく道は決まった。
(文中敬称略)
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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